さんち 〜工芸と探訪〜

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お客さんの9割9分はこの背脂ラーメンを食べに来られるとか

燕背脂ラーメンの元祖、金属工場の町で育まれた杭州飯店の中華そば 燕三条の工場飯

投稿日: 2016年12月14日
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こんにちは。ライターの鈴木伸子です。
工場町・燕三条の愛される名店を訪ねる「燕三条の工場飯」。私は実は東京ではラーメン店の激戦区といわれる地域に住んでいまして、日頃も近くの評判の高い店にはとりあえず食べに行ってみるラーメン好きです。そんな私が今年新潟・燕の街で出会ったすごいラーメンが、これからご紹介する杭州飯店の背脂ラーメン。燕名物となっている以上に、この味が成立するまでのストーリーがとても興味深いのです。

燕背脂ラーメンの元祖、金属工場の町で育まれた杭州飯店の中華そば

燕三条一帯を車で走るとラーメン屋さんが多いことに気づきます。実はこの街の名物はラーメン。それも燕は「背脂ラーメン」、三条は「カレーラーメン」という独自のメニューを生み出し、発展させてきました。高度経済成長時代の昭和30年代、燕三条の金属工場はどこも忙しく残業が続いたため、出前の夜食を取ることが多く、そのなかで人気があったのがラーメンでした。
工場の仕事では汗をかくことが多いため塩味は強めになり、麺はのびにくいように太め、背脂やカレーをのせることで冷めにくくと、背脂ラーメン、カレーラーメンが工場の街の食文化として進化していきました。
その燕背脂ラーメンの元祖は、戦前からの歴史のある杭州飯店です。昼時は行列ができる人気店で、特に土日は県外から訪れるお客さんも多く見られます。杭州飯店3代目で、創業者徐昌星さんの孫である徐直幸さんに、燕背脂ラーメンが現在の形になるまでのお話をうかがいました。

多くの人がこの看板を目指してやってくる

多くの人がこの看板を目指してやってくる

一面に背脂、しょっぱいスープに太い麺が迫力

まずお話の前に、その背脂ラーメンをいただいてみます。運ばれてきたのは、この店では「中華そば」というメニュー名の品。丼一面に浮かぶ背脂で麺や具がほとんど見えません。しかし、箸でさぐると分厚い叉焼、粗みじんの玉ねぎ、メンマ、うどんのように太い麺が確認できて改めてすごいボリューム感を認識します。

モチモチの太麺。一面の背脂で中身がほとんど見えない!

モチモチの太麺。一面の背脂で中身がほとんど見えない!

店主、徐直幸さんが、この「中華そば」について解説してくださいます。

「麺が太い、スープは煮干しで味はしょっぱめ、背脂が多い、玉ねぎが入ってる。これがうちの中華そばの特徴。最初は玉ねぎじゃなくて長ねぎが入ってたんですよ。だけどだんだんスープの味が濃くなって、玉ねぎの甘さがマッチするということで玉ねぎになった。麺は自家製麺で朝7時から私が作ってまして、半分は機械の助けを借りながら手打ちで仕上げています。二代目である私の親父の代に、出前してものびにくくお腹がいっぱいになるようにと太くしていったそうです」

初代・昌星さんが、最初に背脂を入れた

徐直幸さんの祖父、徐昌星さんが最初に燕に杭州飯店の前身である福来亭を開店したのは昭和7年頃。当初、店は屋台でした。

「背脂ラーメンは、もともと私のおじいさんが考え出したものなんです。祖父は中国出身で、昭和7年にラーメンの屋台を引いて燕にやってきた。それ以前には長崎に上陸して九州の炭坑で働いて日本各地を回り、仙台で屋台を手に入れたということです。そこから南下して福島へ、そして喜多方に中国の同郷の人を訪ねていったところ『新潟のほうが景気がいいぞ』という情報を得て新潟にやってきた。そもそも祖父が屋台を手に入れて引いていたということは、それ以前に調理の仕事の経験があったからなんだと思いますね」

昭和7年頃の燕にはすでに金属工場が建ち並び、昌星さんは町の中心の中央通りで屋台の中華そば屋を営業しはじめます。火力の弱い屋台では細い麺しか茹でることはできず、当時の福来亭の中華そばは薄味細麺だったということです。
翌年、昌星さんは燕駅近くの穀町に店を構えます。

「店を構えるようになったら、屋台と違って火力の強い火床も確保できて、料理の幅も広がるようになった。それでお客さんからの要望に従ってちょっとでも腹にたまるように中華そばの麺を太くしたり、スープの味をしょっぱくしたりというふうに、福来亭の中華そばは変わっていったようです。背脂が入ったのもその頃からで、もともと中国ではつゆそばやスープに豚の脂を入れる料理があった。脂は甘いし、しょっぱいスープとバランスがとれる。腹持ちもいいというんで具の一部として脂を振るようになった。豚の背脂というのは昔は内臓と同じような扱いであまり使われなかったけれど、それを具にしてみたら評判がよかったということのようです」

工場への大量出前のために、麺はさらに太く

二代目を継いだのは直幸さんの父、勝二さんで、昭和39年、18歳の時から福来亭で働きはじめました。当時は日本の高度経済成長期のまっただなか。燕の金属工場はどこも大忙しで、出前だけで1日800杯もの注文があり、1軒の工場だけで150杯という数もあったとか。福来亭は今よりもまだまだ小さな店で、一度にそんなにたくさんの中華そばを作ることはできませんでした。出前用には夕方4時頃から9時頃までひたすら中華そばを作り続け、順番に運び続ける日々。どうしてもそばを作ってから出前先に配達して食べてもらうまでに時間がかかり、麺がのびてしまいます。それをなんとかしようと、勝二さんは麺をさらに太くしていきました。

手際よく盛られていく麺。この太さはかつて出前のために工夫されたもの。

手際よく盛られていく麺。この太さはかつて出前のために工夫されたもの。

今、杭州飯店では出前はやっていませんが、三代目の直幸さんもかつては配達を手伝っていたということです。

「出前は私が高校生の頃までやっていましたね。その頃は店の人手がなかったので基本的に断っていたんですが、本当に昔から取ってくれていた金属加工工場のお客さん2軒だけには残業時の夜食として届けていました。そのうち1軒は中華そば2つか4つという数の注文なんだけど、もう一軒は25という数なんで、車にのせて持っていっていたのをおぼえています」

いつの間にか背脂ラーメンが看板メニューに

福来亭は、昭和52年に2代目勝二さんが中国料理店・杭州飯店としてリニューアル開店し、現在に至っています。

「杭州飯店は、私のおやじとおふくろが本格的な中国料理の店をやりたいと言って始めたんです。それは祖父の夢でもありましたし。店は2階、3階が座敷になっていて3階が大広間で、宴会料理にはふかひれやあわび料理を出したり、結婚披露宴に使われたりもした。だけど時代の流れでだんだんに背脂ラーメンだけが人気になっちゃって(笑)、今のお客さんは、9割9分背脂ラーメンを食べに来る人ですね」

お昼時を過ぎてもお客さんが絶えない。厨房は大忙し。

お昼時を過ぎてもお客さんが絶えない。厨房は大忙し。

現在の杭州飯店のメニューを見ると、中華そば(背脂ラーメン)のほかに五目そば、タンメン、麻婆麺、五目チャーハン、餃子、牛すじ煮込定食など、かなりバラエティに富んでいます。それでもほとんどのお客さんはやはり「中華そば」(背脂ラーメン)を注文するのだとか。

「お昼の注文なんて、『今日はほとんど、中華そば大盛りだったね』みたいな時が多いです。背脂多め、玉ねぎ多めという注文も多いし、女性やおばあさんでも大盛りを食べていく人がいますよ」

祖父が広めたラーメンの味

そして現在のように燕に背脂ラーメンの店が増えたのは、その元祖である福来亭初代の徐昌星さんが、同業者であるほかの店にも惜しげもなくラーメンの作り方の技術指導したからでもあります。

「うちのおじいさんの頃は、今みたいに誰が元祖だとか、俺が本家だとかいう争いもなかったんですね。『これから店を始めるんだけど、福来亭のラーメンを教えてもらえませんか』という人には、祖父は『いいよ、いいよ』と、気前よく作り方を教えていました。おじいさんは燕の麺業組合の組合長もしていたし、『自分だけの味にするのではなくて、みんなでうまいものを作っていこう』という考え方の人だったんですね。そんなことで燕に背脂ラーメンが広まったということはあるかなと思います。だけどうちのおじいさんがラーメンの作り方を教えた店なんて燕の中でもほんの数軒ですよ。みんな独自に自分の店の味を追求した結果、それぞれに個性を競って、こんなにラーメン屋が増えていったんだと思います」

杭州飯店は今や、燕三条を訪ねたらぜひここで背脂ラーメンを食べたいと多くの人がやってくる店になっています。

「大晦日やお正月、お盆には、帰省した人たちがみんな食べにきてくれますよ。福来亭の時代からはもう84年。背脂ラーメンはすっかり故郷の味ということになったんでしょうね」

そんな杭州飯店、徐直幸さんの話を聞いて燕背脂ラーメンを食べると、太い麺と背脂がいっそう味わい深く感じられます。

杭州飯店
新潟県燕市燕49-4
0256-64-3770

文:鈴木伸子
写真:神宮巨樹
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