さんち 〜工芸と探訪〜

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イスラエル出身、45歳でデビューした職人が夢中になる「言葉より結果」の世界

投稿日: 2019年6月6日
産地: 高岡
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「今の会社、すぐに辞めなさい。日本一の会社を紹介するから」

イスラエルから日本の地方都市・高岡へやってきて20年。

それは、地場産業でもある鋳物 (いもの) の工場で派遣社員として働いていた、ある日の休日でした。

男性は近くの山のドライブコースに佇む、大きな鐘の下にいました。それは伝統的な高岡銅器の技術で造られた、全国でも有数の大梵鐘。

そこで出会った60代半ばの男性の一言をきっかけに、彼の人生は大きく変わることに。これは、遠い異国の地からやってきて日本の職人になった、1人の男性のお話です。

鍼灸がつないだ高岡との縁

男性の名は、エラン・フィンクさん。イスラエル出身の彼が奥さんの生まれ故郷である富山県高岡市に来たのは、1999年のことでした。

奥さんとの出会いは中国。お互い同じ学校で鍼灸を学んでいました。

「鍼灸を学んだのは、先に習っていた先輩に勧められて、伝統的な技術や東洋の思想に興味を持ったからでした。中国で習ったあと、母国で9ヶ月ほどクリニックを開いていました」

結婚を機に来日し、高岡で生活をスタート。高岡に来て初めての印象は、市内から見える立山連峰の景色の素晴らしさでした。

「高岡に来てもう20年になりますが、たまの好天時に、真っ白な雪の映える立山連峰が本当にきれいで。毎年見ても、飽きないですね。

海、魚、食べ物も最高だし、文化や人も面白い。日本は食も文化も多様なのが、魅力的だなと思います」

エラン・フィンクさん

鍼灸がつないだ二人の縁、そして高岡との縁。奥さんは今も鍼灸師ですが、エランさんは来日を機に別の道を歩むことになります。

「日本の法令では、国内の大学を卒業しないと鍼灸の仕事ができなかったんです。でも、それでよかったと今では思っています。

イスラエルでやっていたクリニックは患者さんもいっぱいいたのですが、一人一人、生身の体に向き合うのは日々とてもハードで。自分の性には合っていないように感じはじめていたんです」

鍼灸師の道を諦めたエランさんは、高岡で出来る仕事を探しました。最初はコンクリートを扱う土木工事。それから、自分のお店として飲食店を10年間。その後お店もたたみ、派遣社員として鉄鋳物の工場で働いていたとき、運命の日は訪れたのです。

突然誘われた“日本一の会社”とは

冒頭の大梵鐘の下で出会った60代半ばの男性は、水上さん。高岡を代表する鋳物メーカーのひとつ「梶原製作所」を引退したばかりのベテラン職人でした。

鋳物は、溶かした金属を型に流し込み、冷やし固めて仕上げる「鋳造 (ちゅうぞう) 」によって作られます。

鋳物の街・高岡の中でも1902年 (明治35年) 創業の梶原製作所は、大きな仏像やモニュメントなど大型の一点物を得意とし、企画デザインから設計、制作、施工、設置まで一貫して行う鋳造所。

国宝・文化財などの修復も手がけており、製作した物は国内外各地に設置されています。

「それまでいた鉄鋳物の工場は、生産ラインで同じものを繰り返し作るタイプのところでした。

水上さんは僕に仕事の話を尋ねた後、すぐどこかへ電話し始めたんです」

電話の相手は、梶原製作所社長、梶原壽治さん。

その場で水上さんは約束を取り付け、なんと翌週には面接することに。突然の電話を受けた梶原社長は当時を振り返り、こう言います。

梶原社長

「それまでは日本人としか仕事をしたことがなくて。言葉の問題もありますし、最初話を聞いたときには正直、『勘弁してくれ。俺に何の話をしとるんや』と思いましたね」

それでも「とにかく一回会ってくれ」という水上さんに根負け。しぶしぶ会ってみると、当時すでに日本語はペラペラだったエランさんとは言葉の障害もなく、梶原社長もすぐにエランさんを気に入りました。

職人になりたい

「最初に会ったときにエランが言った、『職人になりたい』という一言がまず好きだなと思いました。『職人』という言葉を知っていること自体が大きい。

今の日本でも、就職したいという人はいても、『職人になりたい』という言葉が出てくる人は、なかなかいないんじゃないでしょうか」

それから2〜3週間後には梶原製作所に入社したエランさん。「職人になる」という選択に、奥さんも「あなたが幸せならオッケーよ」と、最初からサポートしてくれたといいます。

「職人になりたい」と語った面接時の心境をエランさんに尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「やっぱりものづくりが好きなんです。言葉を多く使わず、静かに集中して、良い品物を作り上げるということが魅力で。だから、妥協せずにレベルの高いものを作れるようになろうと、自分に目標を課しました」

実は、お父さんやお兄さんが石の彫刻家だというエランさん。ものづくりが好きなのは、その血を受け継いでいるからなのかもしれません。

毎回自分で考えて新しいものを作る面白さ

原型製作〜鋳型製作〜鋳造〜仕上げ〜着色といった、いくつもの鋳造工程のなかで、エランさんが入社以来担当しているのは、溶かした金属を流し込む鋳型を作る仕事。この型がなくては、鋳物は始まりません。

エランさんが前職で鉄鋳物の工場で鋳型や鋳物砂 (鋳型を作るための砂) の扱いに関わっていたことから、鋳型づくりが一番合うのでは、と梶原社長が見込んで選んだのだそう。

「僕が担当する鋳型製作は、原型をもらって、その凹凸を反対にした『外型』を作る仕事です。

ひとつの原型をどのようなパーツに分けて鋳型にするかなど、考えながら取り組みます。

たとえば人の型で服のシワがあれば、金属を流したあと、凹凸に引っかかって型がうまくばらせません。引っかからないように、『寄せ型』 (抜けにくい部分にはめる小さな鋳型) をどう取り付けるか」

写真中央でエランさんが触れているのが「寄せ型」。後の工程をスムーズにするため、角度なども重要になる

「毎回違う品物を作るので、都度リセットして考えるんです。ここはどうやったらうまくいくか?って、頭をひねるのが楽しいです」

大きな型は砂だけでは弱いので、芯金(しんがね)という太い鉄の骨を作る。鉄骨の強度や砂にひびが入らないようになど、考えることは多い

「ある程度の大きさの像は中を空洞にしますから、空洞にするための『中子 (なかご) 』という型も作ります。できあがりの肉厚を考えながら、砂で作るんです。

鋳型を作るという仕事ひとつ取っても、細かな手作業が多いし、仕事は幅広いです。なので、全然飽きませんね。そういう仕事はなかなか無いですよ」

神様より、自分を信じる

近しい業界で働いていたとはいえ、鋳型づくりという未知の仕事。

エランさんはどうやってその技術を身につけていったのでしょうか。

「答えがないことだから、知らないところはたまに聞くけれど、先輩を邪魔したくないし、なるべく聞かないようにして自分で考えてきました。いちいち聞くと、自分のレベルが上がるのが遅いと思うんです」

「先輩が常に見ているので、たいてい、大きな失敗をしそうになったらすぐ『エラン違う!こうやったほうがいい』とアドバイスをくれる。それで大きいミスは少なく済んでいます。

ミスしたら後の工程が大変だったり、仕上がりが悪かったり、品物に穴が空いてしまったりしますから」

壁にぶつかっても、自ら考えて自分のやり方を積み上げる。一方で誰しもが通りがちな失敗、過去に先人や現場の先輩が経験している失敗は、未然にアドバイスを受けて修正していく。

そんな現場の様子が伝わってきました。

「難しい品物をもらっても、自分が自分を信じればなんでもできる、と思っています。神様より、自分を信じて一生懸命やれば、結果は出ると信じているから。

アドバイスと多少違っていても『ダメ!』と言われていなければ、自分のやり方を貫くことも多いです。それで成功すれば、次に進む。

結果が大事なんです。良い結果を出せば、誰も文句は言わない。だから、ここの職人でも、微妙に違うやり方を持っていますよ」

職人は失敗した経験値 (=引き出し) をたくさん持つことが大事だ、という梶原社長も、「それがエランの引き出しになるから」と見守ります。

「ちょっとしたことで失敗することもあるかもしれないけど、ちょっとしたことで成功する可能性もある。

そういうのが『引き出し』になりますから。もちろん、明らかに失敗することは止めますけどね」

「でも」とエランさんは続けます。

「自信は持ちすぎたらダメね、失敗するから。

特に大きいものは失敗したら、コストが高い。材料も、人件費も。あと、職人としてのプライドも傷つく。誰か失敗したら、みんな覚えてるから」

質と速さのあいだで

梶原製作所にとって初めての、外国出身の職人。その彼を、梶原社長はこう評価します。

「エランは合理的にものづくりに取り組むタイプ。合理性は、他の日本人の職人よりあるかもしれない。

ただ、合理的だから良い仕事になるとは限りません。かけた時間で出来上がったものに微妙な違いが生まれることもある。そのわずかな違いを求める人もいる。ここが難しいところです」

エランさんも、職人として仕事をする上で「質と速さのバランスが大事」だといいます。

「例えば同じ品物を、この人は4日間で仕上げる、あの人は2週間かかる、としたら何かがおかしい。どちらかがおかしいか、そのあいだに正解があるのか。

質も比べてみて、どっちがいいかのバランスを見るのが大事だと思います。自分はちょっと急ぎすぎるクセがあるから、気をつけないと」

これから極めていきたいもの

45歳で職人デビューし、鋳型製作一筋で約5年の経験を積んできたエランさん。今後も他の工程を幅広く経験するよりは、鋳型製作の仕事を極めていきたいといいます。

それに応じ、「鋳物の世界は奥深いからね」と答える梶原社長。

「20年、30年の熟練職人も失敗する。パーフェクトに近づくことはできても、完璧はあり得ない」

梶原社長も文化財などの修復に多数関わるなかで、何百年も前に鋳造されたものに驚嘆することも少なくないそうです。

「たとえば今預かっている800年前の品物も、肉厚がすごく薄くて。『これ、本当に鋳造で作ったんですか?』と。鋳物は薄く作るのが難しいんです。どう再現しようかなと思っているところなんですよ」

同じ現場で働く職人の先輩だけでなく、遠い先人も追うべき背中になる。それは、鋳造が遥か昔から続いてきた技術だからこそ。

エランさんの今後の挑戦も、何か新しいものに対してというよりは、今持つ技術を磨き、深めていきたい、というところにあるようです。

「日本には昔から、1人がひとつのことに集中して、上手になっていくという考え方がありますよね。僕もこれまでの経験を生かして、立派な職人になれたら」

先の工程と出来映えの美しさを思い描きながら、その時々の鋳型と静かな対話を重ねるエランさん。

鋳型製作の”道”を通して自分自身も磨いていこうとしている姿が、とても美しく印象的でした。

取材協力
株式会社梶原製作所
富山県高岡市横田町3-3-22
http://kajihara-ss.com/

文:荻布裕子
写真:浅見杳太郎
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