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「高岡銅器」とは。日本の銅器づくりの9割を支える町の歴史と今

投稿日: 2020年7月9日
産地: 高岡
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高岡銅器とは富山県高岡市でつくられる金工品。

実は、高岡は銅器づくりで国内シェアの90%以上を占める、鋳造の町です。

小学校によくある二宮金次郎像や新年に響く除夜の鐘。その多くが実は高岡銅器でつくられています。

今回は、そんな高岡銅器の歴史と特徴、豆知識についてご紹介します。

高岡銅器とは。万博にも出品された、日本を代表する伝統工芸品

高岡銅器とはおよそ400年前からつづく鋳物の町「富山県高岡市」でつくられる金工品(金属を加工してつくられる工芸品)の総称。名前に「銅器」とあるが、真鍮や青銅などの銅合金以外にもアルミ合金・錫・鉄・金・銀などの素材でも、ものづくりが行われている。

高岡銅器は江戸時代のはじめごろからつくられ、当初は鍋、釜(かま)、農具のような鉄鋳物の日用品が主であったが、しだいに梵鐘や大灯篭、大仏などの大型銅器や、仏具、火鉢、煙管(キセル)、矢立などもつくられるようになる。

明治期にはパリやウィーンなどの万博博覧会に出品した歴史もあり、世界各地の美術館に作品が展示されるなど日本を代表する伝統工芸品のひとつである。

ここに注目 日本でつくられる銅器の90%は高岡生まれ

高岡には原型、鋳造、仕上げ、着色、彫金と金属加工のあらゆる技術が集まっており、複数の製作所や職人が工程を分担してつくるのが基本。ひとつの町だけで分業制が成り立つのは珍しいことで、高岡の強みとなっている。

このように高岡に金属加工の製作所や職人が充実しているのは、江戸時代に加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)が藩をあげて鋳物師の支援をし、産業の保護を行ったことが始まり。1990年時点では、産地には461軒もの業者があり、その販売額は全国の銅器の90%以上と言われ国内最大の規模を誇る。

一大産地を支える分業制

高岡を銅器の一大産地として発展させた理由のひとつが分業制。原型、鋳造、仕上げ、着色、彫金と工程ごとに分業し、各職人や製作所が切磋琢磨しながら技術を磨いてきた。各工程でどのような作業が行われるのか、以下にまとめていく。

○原型

鋳型をつくるために粘土や石膏、蝋(ろう。蜜蝋や木蝋)、木型や金型などその鋳物と同じ形状の原型をつくる。そして、原型を覆うようにして、鋳型を成形していく。

○鋳造

あらかじめつくられていた鋳型に、1,200度ほどの炉で溶かした銅合金を流しこむ。金属が冷えたら、鋳型をはずして磨きをかける。

鋳型に溶けた金属を流しこむ作業

○彫金

様々な大きさ、かたちのタガネを使って金属の表面に模様を彫っていく。彫り跡を変えて表情に変化をつけたり、別の金属を嵌(は)め込んだり(象嵌)、叩いて立体感をだす(打ち出し)など様々な技法がある。

○着色

金属の酸化を予防し、美しさを保つための化学反応による着色。下色として「酢煮汁液(硫酸銅や食酢、食塩などでできる)」などで表面に酸化被膜をつくり、古銅色・青銅色・朱銅色などの伝統的な着色が施される。

高岡銅器の豆知識

銅器で日本一の産地である高岡の製品は日本人なら誰もが知っているあの場所や、あのシンボルにも。高岡銅器の技術は日本各地の様々なところで生かされている。

○浅草寺の大提灯に高岡の技術

江戸下町の雰囲気を色濃く残し、日本を代表する観光地、東京・浅草。

そのランドマークである浅草寺といえば、門前の大きな赤提灯と両脇にある2つの黒提灯が有名であろう。実はこちらの黒提灯は紙ではなく、銅で出来ている。

浅草寺の大提灯

浅草寺の大提灯

浅草寺の提灯を手がけたのは、高岡でも大型鋳造を得意とする鋳造所「梶原製作所」。金属でありながら、まるで紙や竹のように柔らかな質感に仕上げられた提灯は、400年の歴史をもつ高岡銅器の技術を結集させて生まれた作品と言える。

<関連の読みもの>
浅草寺の提灯、両脇はなぜ銅製? そこには思わぬ理由があった

○二宮金次郎像といえばこのメーカー

二宮金次郎、のちの名乗りを二宮尊徳。日本を代表するこの偉人は一般的に「負薪読書」、つまり「薪を背負って、読書をしている」というスタイルで知られる。

しかし、高岡で90年にわたり二宮金次郎像をつくる老舗メーカー「平和合金」では違うものを背負っている。それは、シバ(あまり大きくない雑木や枝のこと)。

柴は葉っぱなども細かく再現。これぞ高岡銅器の技術の結晶。実は積んである柴を何段にする、などのカスタマイズも可能だそうです。

平和合金の二宮金次郎。シバは葉っぱまで再現される。

太い薪、と細いシバ。わずかな違いのように見えるが、実はこのように細い枝ぶりを表現できるのは、溶かした金属を「型」に流し込んでつくる鋳込み技術の高さで発展してきた、平和合金ならではである。

<関連の読みもの>
二宮金次郎の銅像に隠されたメッセージとは。背負っているのは薪ではない?

○大晦日に欠かせない、梵鐘シェアNo.1老子製造所

新しい1年が幕を開ける頃。近所の寺から「ゴーン、ゴーン‥‥」とあの音が響いてくる。日本人なら誰もが馴染みのある「除夜の鐘(梵鐘)」。

そんな梵鐘を14代にわたりつくり続けてきた鋳造所がある。高岡にある「老子(おいご)製造所」だ。今日では国内の鐘のシェアの60%以上を占める。

長禅寺の鐘・梵鐘

老子製造所がこれまでつくってきた鐘は大小合わせて2万口(鐘の数え方は「口(こう)」)。成田山の新勝寺、比叡山の延暦寺、京都の三十三間堂、沖縄の平和記念堂などの梵鐘も手がけてきた。毎年、近所の寺から響いてくるあの鐘の音は、もしかすると老子製作所が手がけた、鐘が響かせているものかもしれない。

<関連の読みもの>
除夜の鐘の音はゴーン?ガーン?作り手に教わる梵鐘の秘密

高岡銅器の歴史

○加賀藩の後押しで鋳物の町誕生

高岡銅器の始まりは江戸のはじめごろ。加賀藩の2代目藩主であった前田利長が、1611年に高岡の新たな産業として金森弥右衛門、喜多彦左衛門、藤田与茂、金森与茂、金森与兵衛、金森藤左衛門、般若助右衛門ら7人の鋳物師(いもじ。鋳造を行う職人)、刀装彫金師(刀のかざりの職人)を招いて鋳物工場をひらかせた。

その後も加賀藩は、鋳物師に様々な支援をした。現在、銅器づくりで日本一のシェアを誇り「鋳物の町」として知られる高岡は、こうした背景から誕生した。

○万国博覧会でTAKAOKAの名が世界に知られる

高岡で鋳物づくりがはじめられた当初は、農作業用の鍬(くわ)や鋤(すき)、鍋や釜など鉄製の日用品が主につくられていた。江戸中期以降になると、銅器に美術性の高い彫金(金属の表面に模様を彫る技術)を施したもの、仏具や梵鐘、灯篭や大仏のような大型のものもつくられるようになる。

明治以降には花瓶、キセル、火鉢などもつくられるように。彫金の名工が誕生したのも明治の頃。廃刀令により刀装彫金の需要がなくなると、失職した金沢の優秀な職人が高岡に集まり、それに刺激を受けた高岡の職人たちが技術を向上させたという。

また、1872年には明治政府が地方産業の救済にと、翌年(1873年)に開催されるウィーン万博博覧会への出品物を金沢と高岡に依頼し、競争させた。その後、フランスやアメリカで開催された万博にも高岡から作品が出品されており、高岡銅器の名は世界にも知られるようになっていく。

○銅器団地の登場、日本一の銅器産地へ

明治以降は輸出品に力を入れていた高岡であったが、こうした時代は長くは続かず、大正の頃には国内向けの商品に転換していく。第二次世界大戦後には日用品の需要拡大、加えて1955年ごろから始まった高度経済成長の波にのりさらに成長した。

1975年(昭和50年)には国の伝統的工芸品に指定される。また、1977年には高岡銅器の生産性の向上、関連企業の連携と公害問題の解消などをはかるために「銅器団地(2020年時点で44の企業が参加)」が立ち上げられた。1986年からは年に1回「工芸都市高岡クラフトコンペ」が開催されており、全国から出品される工芸作品やクラフト品が高岡の街中で展示販売される。

現在の高岡銅器

○鋳物技術を生かした錫アイテムが人気。「能作」のものづくり

高岡銅器と聞くと、銅をイメージされるが、実は高岡では真鍮や青銅などの銅合金だけでなくアルミや鉄など様々な金属素材の製品がつくられている。中でも今、錫の鋳物で注目を集めている製作所がある。1916年(大正5年)に仏具を製造する鋳物メーカーとして創業した「能作(のうさく)」だ。

能作では、仏具の他にも、茶道具や花器、酒器などの様々な商品を展開してきた。中でも錫(すず)を使ったぐい呑みやタンブラーなどの「酒器」、錫の柔らかさを利用してできた、曲がる器「KAGO」シリーズ。錫ならではのデザイン性と機能性を兼ね備えたこれらの製品は大きな反響を呼び、今や能作は高岡の代表的な製作所として全国から注目を集める。

2017年には本社工場を移転し、規模を拡大。約4000坪の敷地内には、オフィスや工場だけでなく、ショップやカフェ、高岡銅器をつくれる体験工房まで備えている。また、毎日5回行われるファクトリーツアーは、間近で能作のものづくりを見学することができ、動員数は年間10万人以上にのぼるほどの人気ぶりである。

<関連の読みもの>
スゴい工場見学。富山「能作」に年間10万人が集まる人気の秘密とは
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○薬師寺の修復プロジェクトに町を挙げて参加

腕利きの職人たちが総力をあげて取りかかる世紀の大修理プロジェクトが、ある世界遺産で行われた。それは「古都奈良の文化財」のひとつで世界遺産に登録される薬師寺。このプロジェクトに町をあげて参加したのが、富山県高岡市の職人たちだ。

高岡が担当したのは薬師寺で唯一、およそ1300年前の姿をとどめる東塔、その塔頂部にある「相輪(そうりん)」。薬師寺東塔の修理は明治以来110年ぶりで、「伝統工芸高岡銅器振興協同組合」所属の各製作所が工程を分担した。

<関連の読みもの>
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○職人が案内する人気の工場ツアー「高岡クラフツーリズモ」

高岡では職人たちの案内で工場をめぐる「高岡クラフツーリズモ」が開催されている。職人の日常や伝統の技を垣間見ることができ、ものづくりの現場ならではの熱気を体感できるツアーだ。

また、ツアーにはいくつかコースがあり、参加者が興味のあるコースを選べる。2019年には、あの「二宮金次郎」像など、鋳物を製造する会社を見学して回るコースや、銅製の花瓶「そろり」の職人体験ができるコース。お寺や大仏さまを巡り、仏像や仏具の製造現場を見学するコースなど、毎年高岡ならではのコースが設定されている。

能作が手がける、そろり

<関連の読みもの>
職人が案内する人気の工場ツアー。400年の工芸都市・高岡で今年も開催!(2019年の開催案内です)

ここで買えます、見学できます 高岡に行ったらぜひ訪れたい日本三大仏「高岡大仏」

富山県高岡市には奈良の東大寺や鎌倉の高徳院に並び、「日本三大仏」に数えられる大仏がある。大佛寺の「高岡大仏(正式名称は阿弥陀如来坐像)」だ。

初代は1745年(延享2年)に建造された木製大仏で、これはすでに焼失した。現在の大仏は4代目にあたり、類焼してきた先代の歴史から青銅製に。高岡銅器の高い技術力を結集して、1907年(明治40年)から26年間をかけて1933年(昭和8年)に開眼した。

像高およそ16メートルにもなる高岡大仏は、その見栄えの良さから「日本一の美男」とも呼ばる。高岡市の文化財にも指定されており、市民からは親しみと敬意を込めて「だいぶっつぁん」と呼ばれるなど、高岡の象徴的な存在である。

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高岡銅器の基本データ

○素材

真鍮や青銅などの銅合金の他、アルミ合金・錫・鉄・金・銀などの様々な金属素材が用いられている。

しかし実は、日本の鋳物産業を支える高岡では、その原料となる銅や鉄などの鉱物は近辺から産出しない。岩見(現在の鳥取県)や伯耆(ほうき。現在の島根県)、陸奥(現在の青森県)、飛騨(現在の岐阜県)、越前(現在の福井県)などから原料を仕入れてきた。

鋳物の町・高岡は素材ありきではなく、職人たちが腕を競い、技術を高めていった事で一大産地へと発展を遂げたのだ。

○代表的な技法

日本で発展してきた鋳物技術にはいくつもの種類があり、産地や製造所によって用いる技法は違う。なお、高岡銅器の代表的な技法としては以下の4つがある。

・双型鋳造法

双型鋳造法は4つの技法ではもっとも古く、左右対称の板を原型として回転させて鋳型と、一回り小さな中子型をつくる。そして、鋳型と中子型を合わせてできる隙間に溶けた金属を流しこむ。茶釜、梵鐘、円筒型や円錐型の火鉢などの製品づくりに主に用いられる。

中子の材料は厳選した砂や粘土などを練り合わせたもの

中子型をつくるのに使われる砂や粘土

・焼型鋳造法

焼型鋳造法では「真土(まね。粘土と和紙の繊維を調合したもの)」で鋳型をつくり、それをおよそ900度で焼く。その後、鋳型がおよそ400度にまで冷えたところで溶けた金属を流しこむ技法。小さくて複雑な置物から大きな銅像まで製作される。

・蝋型鋳造法

蝋型鋳造法では、蜜蝋(ミツバチの巣からできる蝋)や木蝋(ハゼの木の実からできる蝋)に、松脂を煮合わせたもので原型をつくり、それを土につつみ高温で焼く。熱によって蝋が溶けて、できた隙間に溶かした金属を流しこむ。4つの技法の中でもっとも複雑な造形の作品をつくることができる。

・生型鋳造法

生型鋳造法では木製または金属製の上下枠に原型(製品と同じかたちをした模型)をいれ、その上に砂をいれて押し固める。枠を外し、原型を取りだすと砂の鋳型ができ、隙間に溶けた金属を流しこむ。高岡での鋳物づくりで主に用いられている技法である。

なお、今日では上記の技法の他にも、精密製品を量産できる金型鋳造法(ダイカスト)や、ロストワックス鋳造法、ガス型鋳造法など新しい技法が生みだされている。

さらに、高岡銅器には鋳物技術だけではなく、タガネで表面に凹線を彫りこむ「毛彫り」、金属を一部を切り取る「透かし彫り」、彫った表面に金や銀などをはめ込む「象嵌(ぞうがん)」など様々な彫刻技法が発展してきた。それらの技法でつくられた作品はかつての万博博覧会にも出品され、その度に優れた作品として高く評価されている。

○代表的な作り手

・金森映井智 (かなもり・えいいち) :1989年に彫金で国の重要無形文化財保持者に認定
・大澤光民 (おおざわ・こうみん) :2005年に鋳金で国の重要無形文化財保持者に認定

○数字で見る高岡銅器 日本の銅器シェアの90%以上を誇る

・誕生:1611年ごろ
・販売額:全体でおよそ103億2,000万円(2018年時点)
・従事者(社)数:全体で461社、3,801人が従事している(1990年時点)
・シェア率:販売額の90%以上を誇る(1990年時点)
・伝統的工芸品指定:1975年(昭和50年)に国の伝統工芸品として指定

<参考>
・北 俊夫 監『調べよう 日本の伝統工芸4 中部の伝統工芸』株式会社 国土社(1996年)
・小桜 浩子 編『ポプラディア情報館 伝統工芸』株式会社ポプラ社(2006年)
・鳥田宗吾 著『高岡銅器の彫金技法』高岡短期大学(2005年)
・『高岡特産産業のうごき 平成30年度版』高岡市産業振興部産業企画課(2018年)
・高岡銅器協同組合
http://www.doukikumiai.com/index.html
・高岡伝統産業青年会
https://www.takaoka-densan.com/
(以上サイトアクセス日:2020年04月16日)

<協力>
高岡市デザイン・工芸センター
https://suncenter.co.jp/takaoka/

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