さんち 〜工芸と探訪〜

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さんちのオススメ産地 005 香川 高松たかまつ 高松たかまつ

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香川
高松

概要

万葉集に「見れども飽かぬ」
とうたわれた瀬戸の都

高松市は、四国の北東部、香川県のほぼ中央に位置する県庁所在都市で、交通上重要な位置を占める。東の屋島、西の五色台をはじめ、高松城跡・栗林公園などの観光資源に恵まれた四国の代表的観光都市である。

市域は南部に讃岐山脈を控えてなだらかに傾斜し、北部には広々とした讃岐平野が展開し、紫雲山を背景に市街地が海岸近くまでつづいている。市街地の東には屋島が内海に突き出し、海上には女木島・男木島をはじめとする島々が点在している。風光明媚な自然や風景に恵まれ、これらと町のたたずまいが調和している全国でも有数の美観都市。また、温暖少雨のいわゆる瀬戸内特有の気候である。

歴史

古来から四国の中枢として
栄えた表玄関

高松の沿革は、石器・弥生土器などの出土から見ても、かなり古くから人々の生活が営まれていたことがわかる。この地方の古称「篦原(のはら)」の名前が文献に現れるのは平安時代からである。そして794年(延暦13年)京都の平安京に都が移った頃、香川県で日本真言宗の開祖である空海が誕生する。821年(弘仁12年)に満濃池の修理工事に着手し、讃岐の英雄として崇められ、921年(延喜21年)には弘法大師の諡号(しごう)を与えられる。平安末期には屋島が源平合戦の古戦場となり、戦国時代を経て1587年(天正15年)には豊臣秀吉の武将・生駒親正(いこま・ちかまさ)が讃岐守(さぬきのかみ)として入部。篦原荘に居城を築いて「高松城」と名付け、地名も高松と改められた。1642年(寛永19年)には常陸国(茨城県)から松平頼重(まつだいら・よりしげ)が12万石でこの地に入部する。頼重は徳川光圀の兄で、明治にいたるまで228年の間、高松は徳川親藩の城下町として栄えた。この藩政時代に、塩・砂糖・綿のいわゆる「讃岐三白」と称する讃岐の特産物が生まれている。明治4年の廃藩置県により、高松・丸亀および丸亀の支藩である多度津(たどつ)の三藩を合わせて香川県となった。現在の香川県域が定まったのは明治21年になってからである。

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