さんちのオススメ産地 20 長崎ながさき
概要
異国情緒と潮風の香る街
長崎県の北西部にある平戸市と佐世保市。平戸市は日本本土の西端に位置し人口3万、その東南に位置する佐世保市は人口25万の地域である。
平戸市は、かつては佐世保市も領有した平戸藩の城下町である。古くから中国との貿易が盛んであり、のちにポルトガルやオランダとの貿易の舞台として国際都市の役割を担っていた。海沿いに佇む城を中心に、ネオゴシックの教会と和風の寺院群が立ち並び、当時の面影が今なお残っている。
街の特産品は近海でとれる平戸ひらめで、市内では旬の海の幸が味わうことができる。また南蛮貿易の舞台となったことから、今でも南蛮由来の甘い味を伝えるお菓子屋さんが並ぶ。名物菓子のカスドースも、約460年前にポルトガル人の神父が当地に伝えたとされている。卵や砂糖をたっぷりと使った南蛮菓子に魅了された菓子職人が代々アレンジを加え、独自のお菓子文化を発展させていった。
平戸市からバスで90分の佐世保市は、米海軍の基地がありその文化を色濃く感じられる港町だ。ご当地グルメの佐世保バーガーやビーフステーキなどはアメリカンサイズで楽しむことができる。夜には立ち並ぶバーからジャズの音色が聞こえてくるのも佐世保の風物詩だ。
佐世保駅から数分街を歩いていると突如現れるのは、真っ白なカトリック教会。三浦町カトリック教会である。戦時中には空襲を避けるために真っ黒なコールタールで塗られていたが無事に戦火を免れ、白い姿を取り戻した。童話の世界に佇むようなゴシック教会の中にはステンドグラスの光が心地よく揺れる。
おだやかな海に囲まれた異国情緒あふれる地域である。
歴史
海を背景に時代を歩んできた街
南蛮貿易の舞台となった平戸市、アメリカ海軍や海上自衛隊の基地がある佐世保市。
二つの街は貿易港と軍港として、海を背景に時代を歩んできた。
平戸市は、地域の豪族であった松浦氏が代々統治。平安時代に起源のある松浦氏は、平戸島北部や五島周辺で倭寇としても活動した武士団の「松浦党」の一氏であったが、室町時代の壇ノ浦合戦や、鎌倉時代の蒙古襲来の防戦に参戦し、戦国大名へと成長した。
1601年に豊臣秀吉により領地が認められ、松浦家26代目当主の松浦鎮信(しげのぶ)が初代藩主となり6万石の外様藩となる。城下町のある平戸市は港は東シナ海から玄界灘に抜けるルートがあり、遣唐使、遣隋使の時代から中国との貿易が盛んだった。1550年のポルトガル船の入港以降、1641年に幕府が鎖国令を出し、オランダ商館が出島に移されるまで、東アジアで重要な貿易港であり国際都市としての役割を果たした。
ポルトガル船の来航以来、住民や平戸藩家臣の中に熱心にキリスト教を信仰するものが増えた。領内では、ポルトガル船の来航に対する葛藤も増え、1561年には平戸商人とポルトガル船員との暴動である「宮ノ前事件」が起こった。その殺傷事件をきっかけにポルトガル船との交流は途絶えたが、オランダ船やイギリス船が来航し、商館が建設された。
今でも神社仏閣とゴシック教会が並んでいる姿が町なかで見られ、松浦家の居城である平戸城から城下町を見下ろすと、異国情緒あふれる街並みと港を一望することができる。
佐世保の歴史は1万5千年前までさかのぼる。泉福寺洞窟からは約1万5千年前の石器と、1万2千年前の世界最古の土器「豆粒文土器」が発見されている。
佐世保市も平戸市と同様に、平戸藩の領地であり、平戸藩主が参勤交代の折に宿泊した宿「江迎本陣」や藩御用達の造り酒屋などが当時の姿でのこっている。佐世保市東部の三川内では、400年前から平戸藩窯であった三川内焼の皿山があり、焼き物の伝統を伝えている。
1883年に東郷平八郎が艦長を勤める軍艦「第二丁卯(だいにていぼう)」が、軍港を選定するために佐世保港の調査測量に来港し、1889年には日本海軍の鎮守府が置かれた。横須賀・呉・舞鶴と並ぶ海軍四港となり、それまで人口4000人あまりの半農半漁の小さな村だった佐世保市は都市へと変革を遂げた。
現在の佐世保市は赤煉瓦倉庫群やジャズバーが立ち並び、独特の文化を育んできた港町として観光客で賑わっている。佐世保市の名物であるビーフシチューは東郷平八郎がイギリス留学中に好んで持ち帰ったものだそうだ。
いつの時代も海を介して異国と向き合ってきた地域である。