さんちのオススメ産地 21 佐賀
概要
自然豊かな「栄の国」
九州の北西部に位置し、人口約83万人の佐賀県。県庁所在地の佐賀市は、「薩長土肥」の肥前鍋島藩の城下町で、名君鍋島直正を支えた賢人や、時代を築き上げた25人の偉人たちのモニュメントが街を案内してくれる。
佐賀市の特産品には、繊維の丈夫な梶(かじ)を使った名尾和紙や、主に型を用いず息の吹きかけで繊細につくりあげる肥前ビードロがある。また佐賀市の東側に隣接する神埼市でつくられる郷土玩具の尾崎人形もユーモラスな表情が愛らしい。
佐賀市で毎年11月に行われるインターナショナルバルーンフェスタは89万人を動員するアジア最大級の熱気球大会だ。100機あまりのカラフルなバルーンが空に舞う姿は、秋の風物詩である。
佐賀駅からバスで40分、神埼市と吉野ケ里町にまたがる吉野ケ里遺跡は弥生時代の遺跡としては日本最大規模を誇る。物見やぐらから迫力のある園内を一望すると、2000年に渡る日本の歴史と、邪馬台国のロマンを感じることができる。
『肥前風土記』で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が「栄の国」と呼ぶと決めたという、佐賀。豊かな自然や、生活に根差した工芸品で魅了する地域である。
歴史
様々な時代の「日本」が遺るまち
『肥前風土記』で、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が「栄の国」と名付けたといわれている佐賀。
日本最大規模の弥生時代の遺跡である吉野ケ里遺跡や、大型の前方後円墳である舩塚古墳が遺り、日本の歴史の原始の姿を伝える地である。
海外との交流の歴史も古く、福岡県との県境にある基山町には、665年に中大兄皇子と天智天皇の命令で、唐や新羅との戦いに備え建造された日本最古の山城である基肄城(きいじょう)跡が遺っている。
鎌倉時代の1191年には、臨済宗の開祖である栄西禅師が、中国から多くの経典とともにお茶を持ち帰り、現在の吉野ケ里町にある脊振山霊仙寺(りょうせんじ)内石上坊の庭でお茶の種を植えた。これが日本のお茶栽培のはじまりと言われている。
江戸時代の1607年には肥前佐賀を治めていた龍造寺氏の断絶により、鍋島勝茂を初代藩主に鍋島藩が成立。現在の佐賀市に本丸を置き、およそ36万石の外様大名となる。1642年からは幕府の命により、鎖国体制下で唯一西洋との窓口であった長崎港の警護をつとめた。
外国の脅威をまじかに感じていたことから藩士教育に力を注ぎ、1716年頃には藩士山本常朝による武士の指南書である『葉隠』が書かれた。1781年に8代目藩主鍋島治茂が設置した藩校・弘道館は、天下三弘道館と称され、副島種臣、大木喬任、大隈重信、江藤新平、島義勇など明治新政府で活躍をした偉人を輩出した。
また名君と名高い10代目藩主の鍋島直正は、1850年に国内初の鉄の大砲の鋳造に成功。
1852年には理化学研究所である精錬方を設け、反射炉や蒸気機関車、電信機などの研究に力を入れた。精錬方の主任を務めた佐野常民は、西南戦争の折に現在の日本赤十字社の前身となる救護団体・博愛社を設立している。
広大な自然を背景に、様々な時代の「日本」が遺る地域だ。