さんち 〜工芸と探訪〜

SUNCHI ~ Explore japan through regional crafts ~

このページの先頭へ

あなただけの
さんちの手帖に

会員登録を行うことでお気に入りの読み物に栞を挟むことが出来ます。記事に栞を挟んで自分だけの栞帖をつくってみませんか?
メールアドレス:(必須)
※ 「.@(@の前にドット)」、「..(ドット2つ)」を含むメールアドレスはご利用いただけません
メールアドレスは既に使われているか、正しい形式で入力してください
会員登録する
既にアカウントをお持ちの方は こちら

退会手続き

退会すると栞した読み物や産地の情報が完全に消去され復元することはできません。本当に退会しますか?
キャンセル
退会する

昭和、平成、そして令和の制服トレンドは?学生服大手「トンボ」に聞いてみた

投稿日: 2019年5月23日
産地: 岡山
編集:
  • LINE

学生時代にお世話になったあの制服、日本のどこで、どうやって作られているか、ご存じですか?

昭和、平成と進化してきたその姿は、まさに世相を写す鏡。新しい令和の時代には、どんな姿になっていくのでしょうか。

日本の制服の歴史と変遷を知ることができる全国唯一の「ユニフォームミュージアム」があると聞き、岡山県玉野市を訪ねました。

岡山が学生服のメッカなわけ

「ユニフォームミュージアム」がある岡山県は、実は制服づくりのメッカ。日本全国の学生服の8割がここ岡山県で作られています。

学生服の大手三大メーカーも岡山県企業。その一つ「トンボ学生服」で知られる株式会社トンボが、ミュージアムを運営しています。

トンボ玉野本社工場

トンボ玉野本社工場。300名の従業員が月産12万点の制服の生産に従事。創業から140年の自社の歴史を紹介する「八正館」、日本で唯一の「ユニフォームミュージアム」が敷地内にあり、広報にも力を注いでいる

1996年(平成8年)のトンボ創業120周年記念事業として設立された「ユニフォームミュージアム」

1996年(平成8年)のトンボ創業120周年記念事業として設立された「ユニフォームミュージアム」。日本の制服の歴史と変遷を知ることができるほか、近代制服のルーツとなった英国制服も展示。通常は学校、流通関係の団体のみ見学可能

岡山県は「晴れの国」と呼ばれるほど温暖で雨の少ない地。特に、瀬戸内海に面した沿岸部は綿花の栽培に適していたことから、江戸時代から綿織物の生産が行われてきました。

岡山産の綿は繊維が太く、足袋の裏のような厚手で丈夫な綿織物の産地として栄え、時代と共に学生服やジーンズなどが製造されるように。

トンボも1876年(明治9年)の創業当初は足袋を製造していました。明治、大正、昭和と時代が進むにつれ、国内で洋装が普及。 需要が先細りする足袋に代わり、綿糸という資源と厚手の生地を扱う技術を生かすことのできる新たな製品として着目したのが学生服でした。

こうして1930年(昭和5年)、「トンボ学生服」として制服の生産と販売がスタートします。

足袋の製造道具

1876年に三宅熊五郎が16歳の時に三宅商店として創業。熊五郎の母方の実家が足袋を製造しており、そこで修行し、材料が入手しやすいことから独立したのが始まり

「キラクたび」のロゴマーク

1910年(明治43年)「キラクたび」を主要商標として登録。洋装化に伴い、足袋の消費が減退するのを見越し、足袋から制服へ切り替えたが、ピーク時には年間216万足の足袋を生産していた

【昭和】詰襟とセーラー服からあるきっかけでブレザースタイルへ

「学生服といえば、今でこそブレザースタイルが人気ですが、昭和の学生服の定番は詰襟とセーラー服。トンボでも当初は詰襟のみを製造していました」

株式会社トンボ岡山本社の恵谷栄一取締役

株式会社トンボ岡山本社の恵谷栄一取締役の案内で玉野本社工場内の「ユニフォームミュージアム」を見学。飛鳥時代に始まった日本の教育の歴史と、時代ごとの学生のスタイルを再現した展示品が並ぶ

ピーク時は岡山県内で年間1000万着以上を生産。詰襟の生地の大半は黒色ですが、黒の色味にも種類があり、社内では黒い生地を手にしながら「これは赤い」「これは青い」と社員は色味の区別がつくのだそう。

「制服に変化が起こるきっかけとなったのが1964年(昭和39年)の東京オリンピックの開催でした。海外の選手団が入場行進をする際のユニフォームが注目を集め、制服やユニフォームのカジュアル化・スポーティー化が一気に普及したんです」

ブレザータイプの制服を採用する学校が徐々に増え始めます。詰襟、セーラー服一辺倒だった制服は次第に、学校ごとの特色を反映した「別注化」が加速していきました。

「制服で学校を選ぶ」先駆けはこの学校

1986年(昭和61年)、従来の学生服のイメージを覆す革新的な制服が登場します。それが東京の喜悦学園が採用した紺のブレザーとタータンチェックのスカートというスタイル。

喜悦学園が採用した紺ブレザーとタータンチェックのスカートの制服

喜悦学園が採用した紺ブレザーとタータンチェックのスカートの制服

それまでの制服と一線を画す都会的で洒落たデザインはたちまち女子生徒たちの注目を集め、東京で大人気の制服に。

制服の人気は学校のイメージにも変化をもたらし、入学志願者が激増。見た目の影響と効果はあなどれません。

平成に入ってからもブレザースタイルの人気は衰えることなく、飛躍的に全国へと普及。制服で学校を選ぶ傾向も高まっていきました。

【平成】時代を映し、ファッション化する制服

平成を代表する制服となったブレザースタイルでは、ルーズな「着崩し」が流行。

シャツの外出しに始まり、リボンやネクタイをゆるめ、スカートの丈はどんどん短くなり、ルーズソックスとの組み合わせが一世を風靡。男子生徒のパンツはウエストよりも下の腰で履く「腰パン」スタイルが流行しました。

制服がファッションとして、学校以外の場所や学校が休みの日にも着るものへと変化していったのです。

1995年(平成7年)以降の女子高生の制服姿

1995年(平成7年)以降、安室奈美恵のファッションが人気となり「アムラー」が登場。影響を受けた女子高校生たちはこぞって制服を着崩す方向へ

ルーズソックス

着崩し女子高生の間で爆発的に流行したルーズソックス。制服のファッション化の象徴といえる

ちなみに、改造した変形制服を着る風潮は詰襟・セーラー服が定番だった昭和40年代からありました。

詰襟のカラーや胴体部分、スカートの丈を極端に長くしたり、詰襟の裏地を派手な色や模様入りにしたりといった、反抗心を形にしたツッパリスタイルです。

昭和40年代から平成にかけての半世紀だけ見ても、制服が時代と共に変わっていったことがよくわかります。では、令和の時代を迎えて制服はどのように変わっていくのでしょうか。

1 2
1⁄2
  • LINE

Follow us

全国の工芸・産地にまつわる読み物を毎日更新しています

さんち〜工芸と探訪〜の読み物は各種ソーシャルメディアでも配信中。 今すぐフォローして最新情報をチェックしよう!

関連の読み物

「さんち 〜工芸と探訪〜」がアプリ「さんちの手帖」として登場しました。記事を読むだけではなく、旅の栞や旅印帖として使える、あなたのおともになるアプリです。

  • App Storeからダウンロード
  • Google Playで手に入れよう

アプリの詳細を見る