さんち 〜工芸と探訪〜

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産地の工芸品

奈良県

奈良・大和郡山・生駒

ならさらし 奈良晒

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概要

 奈良地方で生産されてきた高級麻織物。麻の生平(きびら)を晒して純白にしたもので、主に武士の裃(かみしも。江戸時代の武士の礼服)や僧侶の法衣として用いたれた。また、千利休がかつて「茶巾は白くて新しいものがよい」と語ったことから、茶巾としての需要もあったという。
その質の良さから、江戸時代に各地の名産・名所を描いた『日本山海名物図会』(1754年刊行)では「麻の最上は南都なり。近国よりその品数々出れども染めて色よく着て身にまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて重宝するなり」と評されている。
 主に奈良町を中心に商われ、佐保川や大池川など、近隣の川辺に晒場が持たれた。現・奈良公園にも近く吉城川そばに位置する依水園(いすいえん)はもと晒場のあったところで、のちに奈良晒を扱う将軍御用達商人・清須美道清(きよすみどうせい)が江戸前期、別邸をこの地に設けたのが前身となっている。

歴史

 奈良晒の起源は鎌倉時代にさかのぼり、南都寺院の袈裟として使われていたとされる。文献にその名が登場するのは16世紀後半。徳川家康に従い功績をあげた清須美源四郎(先述の清須美道清の祖父)が奈良で晒を始め、その晒法の改良に成功したことが、のちに奈良を代表する産業に発展する礎となる。
 江戸時代に入り、奈良晒は幕府の御用品指定を受ける。慶長16年、徳川家康の命により奈良晒は全て生地の端に「南都改」という朱印を押され、朱印のない晒は売買を禁止されることとなった。武士という大きな需要と幕府による統制・保護を受け、奈良晒は”南都随一”の産業と言われるまでにその生産量を伸ばした。最盛期の17世紀中頃から享保年間(1716~1736年)にかけては年間30~40万疋(1疋=2反。1反で大人1人分の着物量)の生産量を誇り、当時の繁盛は井原西鶴の『世間胸算用』にも登場するほどだった。また、奈良晒の発展に伴って、糸づくりや織布などの工程が周辺の農村部でも広く行われていたことが確認されており、農家の重要な収入源となっていたようだ。
 しかし、享保年間より後、奈良晒は次第に衰退の道をたどる。1736年(元文元年)には年間23疋あまり、1842年(天保13年)には11万疋あまり、1868年(明治元年)には5万疋あまりと生産量を落としていく。『江戸時代人づくり風土記29 奈良』(農山漁村文化協会、1998年)ではその原因として、越後縮や近江麻布、能登縮など他国の良品に押されるようになったことや原料価格の高騰、粗悪品の横行を挙げている。ここに、江戸時代が終わり、最大の需要であった武士がいなくなったことが決定打となり、奈良晒は産業としての力を失うことになる。その後の衰退は著しかったが、今も僅かながら機場が残っている地域がある。奈良市東部の山間にある月ヶ瀬である。1984年に発行された月ヶ瀬村教育委員会発行の『奈良さらし』によると、奈良市元林院町で奈良晒を商っていた中川政七商店が、明治末期から大正、昭和にかけて月ヶ瀬村(当時。現在は奈良市月ヶ瀬)に大々的に進出した。村に生地を織る工場を複数軒建て、近
辺の農家に頼んで織子を集め、仕入れてきた麻糸で生地を織らせたのである。当時、こうした手工業は農家婦女子にとって農閑期の貴重な収入源となっていた。そこに目をつけたのが、奈良晒を商う家業の立て直しを思案した中川政七商店10代 中川政七である。中川は織子の賃金を成績判定により決めるなどして、機織りの技術と品質の向上に尽力した。現在も奈良晒の技術が月ヶ瀬に残っているのは、この中川政七商店による大々的な村への進出が一つの大きな要因であると、先述の『奈良さらし』では記している。こうして保たれた技術を後世に伝え残すべく、奈良晒の紡織技術は1979年(昭和54年)に無形文化財の指定を受けた。今も月ヶ瀬では技術の保存・継承のための取り組みが続けられている。

『南都布さらし乃記』(寛政元年)に描かれた当時の晒場の様子

『南都布さらし乃記』(寛政元年)に描かれた当時の晒場の様子

晒し布の商品に押されていた判。中川政七商店所蔵のもので、現在は同社が営む奈良市元林院の「遊 中川」本店に飾られている

晒し布の商品に押されていた判。中川政七商店所蔵のもので、現在は同社が営む奈良市元林院の「遊 中川」本店に飾られている

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