さんち 〜工芸と探訪〜

SUNCHI ~ Explore japan through regional crafts ~

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さんちのオススメ産地 18 長崎県 長崎ながさき 長崎ながさき

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長崎県
長崎

概要

「わからん」魅力が満載のエキゾチックな街

九州の最西端に位置する長崎県の県庁所在地。ゴシック様式の教会と、坂道の美しい地域だ。江戸時代、唯一海外との交易が開かれていた長崎は、日本の「和(わ)」と中国の「華(か)」、オランダの「蘭(らん)」をとって和華蘭文化の街といわれている。

長崎ちゃんぽんや卓袱料理といった長崎グルメをはじめ、長崎を語るに欠かせない名産の数々も、異国の流れを汲んだものが多い。

亀の甲羅を原料に作られる特産品の長崎べっ甲は、ポルトガルから伝わった技術である。亀は、鶴と同様に縁起のいいものとされ、箸や櫛、かんざしとなって各地の大名に愛用された。

長崎市で毎年10月に開催される長崎くんちは約360年の歴史を誇る国指定重要無形民俗文化財である。長崎奉行がキリシタン信仰を圧倒するために始めたとの説がある豪華絢爛な秋祭りだ。川船や唐人船、オランダ船などの曳き物が披露され、「モッテコーイ」や「ショーモヤレ」といった市民の威勢のいい掛け声が街中に響き渡る。

演目のひとつである「龍踊り(じゃおどり)」は中国で五穀豊饒を祈る雨乞い神事に始まった。唐人服を着た玉使いと龍使いが長さ20メートルの龍を操り、重層なドラの音に合わせてくねらせる。唐人屋敷に住む唐人から長崎町人が教わり、のちに長崎の郷土芸能となった。

見て食べて歩いてわかる、「和華蘭」魅力にあふれたエキゾチックタウン。そぞろ歩きながら、洋の東西を超えた魅力を楽しみたい。

歴史

近代文明の発祥地
~日本に新しい風をふき込んだ街~

長崎市の歴史は古く、市内の柿泊遺跡では旧石器時代や縄文時代の石斧やナイフ形石器など多数の遺物が見つかり1万5000年以上の歴史を伝える。

奈良時代には律令国家となり、政府は各地に駅を設置。『延喜式』では長崎市に隣接する彼杵郡や諫早市に駅を置いたと記されている。

長崎市の中心部に位置する長崎港は、西彼杵一帯で群雄割拠していた武士のまとめ役を担っていた大村氏が、1571年に海外貿易の門戸として開港したことからはじまった。

1634年には、幕府が出島を築き、鎖国時代の200年余りにわたって西洋との唯一の窓口となる。

1823年、その出島に商館医として着任したのが、当時27歳のドイツ人シーボルトである。出島の唯一の出入り口であった表門の前は厳重に警備をされ、外国人は出島からの外出を許されなかったが、シーボルトは長崎奉行所の許可を得て門を出て活動していた。日々薬草摘みや、日本人の診察を行い博学なシーボルトの評判は長崎町内へと広まったという。

1864年には、勝海舟に同伴して坂本龍馬が長崎に足を踏み入れた。龍馬は1865年に、日本最初の商社といわれる亀山社中を結成。イギリス商人のトーマスグラバーは、亀山社中をとおして武器や艦船を薩摩藩・長州藩に提供し、時代を明治維新へと推し進めた。西洋の自由な気風は、明治維新後の文人にも愛され、北原白秋や芥川龍之介、高浜虚子などの文豪たちが、度々街に訪れた。

また明治以降は昭和時代まで産業革命に貢献し、現在も軍艦島をはじめとする炭鉱跡が各地に残っている。近代以降の日本を牽引した地域であり、西洋と東洋の中継地である。

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