さんち 〜工芸と探訪〜

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さんちのオススメ産地 15 栃木 益子ましこ 益子ましこ

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栃木
益子

概要

素朴な自然が広がる・焼きものや手仕事が息づく町

栃木県南東部に位置する芳賀郡の町。山や川、田畑の素朴な景色が一面に広がり、四季折々の表情を感じることが出来る。益子焼で有名な焼き物の産地であり、窯元・陶器販売店の数は約350軒あると言われ、若手からベテランまで数多くの陶芸家が制作活動の拠点としている。町を歩いていると、いたるところに窯元や販売店があり、まさに焼きものの町の名にふさわしい。1966年から始まった陶器市は、2017年の11月で100回目を迎えた。

町の中心、陶芸の丘にある益子陶芸美術館では、人間国宝・濱田庄司や島岡達三など益子を代表する陶芸家の作品が鑑賞できる。他にも町指定文化財の旧濱田庄司邸や生前愛用の登り窯を見学できる博物館、さらに陶芸体験もできる陶芸メッセ・益子など、益子焼の魅力に触れることのできる施設が町の中に充実している。

歴史

いつの時代も“益子らしく”。変わらないことと新しいことを受け入れる町

町の歴史は古く、最古の遺跡として旧石器時代の終末期に属する塙遺跡や星ノ宮遺跡から石器が発見されている。古墳時代の県指定の風戸塚 (かざとづか) 古墳、入定塚 (にゅうじょうづか) 古墳、小宅(こやけ)古墳群や、町指定の天王塚古墳のほか150基以上の古墳が確認され、町内全域に遺跡や古墳が広く分布する。

平安時代の古代窯跡として、大羽川の支流である栗生川によって開かれた谷沿いに分布している栗生窯業群跡(脇屋窯跡、東山窯跡、滝ノ入窯跡、倉見沢窯跡)からは、須恵器が発見され、9世紀時代には窯の操業が行われいていた。

鎌倉時代初期には現益子の東側にある高館山 (たかだてやま) に益子氏 (紀党) が城を築き、以後、戦国末期の益子氏滅亡までの400余年間、その本拠として栄えた。近世には黒羽藩領とされ、明治維新を迎えている。

主産業は農業で、米・麦・タバコ・畜産中心の営農が行われている。

工芸は1853年 (嘉永6年) 、福手村 (現茂木町) 生まれの大塚啓三郎が、相馬焼(福島県相馬市)や笠間焼 (茨城県笠間市) の技法を取り入れて、町内根古屋に窯を開いたのが益子焼の始まりとされている。

また、益子焼に欠かせない人物として、大正13年に益子に定住した濱田庄司(人間国宝) が挙げられる。濱田が始めた民芸品としての益子焼は第二次世界大戦後に人気を集めた。1979年、益子焼は経済産業大臣指定伝統的工芸品に認められた。

また、ものづくりだけではなく、古くからの祭りや市も盛んだ。

1705年 (宝永2年) から始まった祇園祭は、毎年7月23日~25日開催。五穀豊穣、無病息災を祈って24日に行われる“御神酒頂戴式”では、10人がかりで三升六合五勺(6.5リットル)入る大盃で酒を飲み干すという江戸時代から伝わる儀式も続いており、町指定無形文化財の伝統行事である。関東三大奇祭のひとつとしても有名だ。

また1966年から始まった陶器市は、例年春と秋の年2回開催され、2017年11月で100回目を迎えた。現在では、焼き物だけではなく地元の農産物や特産品の販売も行われ、春と秋合わせて約60万人の人たちで賑わう。新しい行事として、2005年に作られた「ましこ再生計画」にもとづいて企画された土祭(ひじさい)も2009年から始まっている。

伝統を守りながらも新しい文化を受け入れてきた町は、近年はつくり手の移住先としても人気だ。

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