さんち 〜工芸と探訪〜

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京都「りてん堂」の活版印刷を支えるデザインの力 わずか2ヶ月での独立。グラフィックデザイナー・村田良平さんの挑戦

投稿日: 2019年5月8日
産地: 京都
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京都・一乗寺。京都造形芸大や恵文社一乗寺店などを筆頭に、ここ数年京都のカルチャータウンとして注目を集める人気のエリアだ。

その恵文社と通りを同じくして、7年前、曼殊院(まんしゅいん)通りに暖簾を掲げたのが「りてん堂」。ガラス張りの大きな窓から見えるのは、今はもう製造されていない日本製の活版印刷機。

このひとつの印刷機が、グラフィックデザイナー・村田良平さんの人生を大きく変えることとなった。

りてん堂

りてん堂は、グラフィックデザインと活版印刷を手掛けるデザイン事務所兼店舗。村田さんは、雑誌や広告などのデザインに軸を置きながら、名刺やはがきなどの活版印刷の仕事もこなす。

店主の村田さん。グラフィックデザインと活版印刷の“二刀流”

店主の村田さん。グラフィックデザインと活版印刷の“二刀流”

活版印刷との出会い、そして突然の独立

もともとは編集プロダクションのグラフィックデザイナーとして働いていたという村田さん。ある日、家の近くにあった活版印刷所を訪ねたことをきっかけに活版の魅力にはまり、週末を中心に通うようになった。

ところが通い始めて数ヶ月ほどたったある日、村田さんは印刷所の廃業を告げられる。

廃業を決めた「加藤第一印刷」の加藤さんはその時80代後半。時代とともに活版印刷の需要が激減するなか、街の印刷所としての役割は十分に果たしたと言えるだろう。

そこから村田さんのめまぐるしい日々が始まる。印刷所の建物はすぐに次の引き取り手が見つかり、2ヶ月で退去が決まった。村田さんは活版印刷を、「商業印刷としては時代遅れだけれど、使い方を考えれば残していける技術」だと感じていた。

そしてとにかく「この印刷機と活字を残したい」という一心で、大学の教授や知り合いの出版社など、思いつく限りの当てを訪ねて京都中を奔走する。

しかし、ついに引き取り手は現れなかった。

6~70年前のものと推測される活版印刷機。日本ではもう製造されていない

60~70年前のものと推測される活版印刷機。日本ではもう製造されていない

りてん堂の活版印刷機
りてん堂の活版印刷機

そこで村田さんは、この「チャンドラー」と呼ばれる印刷機と活字を引き受けることを決意。同時に、会社を辞めてグラフィックデザイナーとして独立することも決めた。

そしてなんとか今の物件を押さえ、チャンドラーと膨大な量の活字を迎え入れた。すべて2ヶ月の間のできごとである。

りてん堂にある活字
村田さんが引き取った活字の一部。書体はもう製造されていない「河本精文社」製

村田さんが引き取った活字の一部。書体はもう製造されていない「河本精文社」製

活字と活字の間に詰める「インテル」。文字以外の部分をこの板で埋めていく

活字と活字の間に詰める「インテル」。文字以外の部分をこの板で埋めていく

組み上げた状態の活字とインテル。余白を計算しながら大小のインテルを詰めていく

組み上げた状態の活字とインテル。余白を計算しながら大小のインテルを詰めていく

「60歳くらいになったら、活版印刷でも始めようかな、と思っていました」

と、どこかのんびりとした口調で語る村田さん。しかし実際は30代後半にしてそれを実現することとなった。

活版印刷所に通うようになり、自身で店を始めるまでの数ヶ月は「記憶がない」と言うほどめまぐるしい日々だったそうだが、将来的にグラフィックデザイナーとして独立したいと思っていた村田さんは、「ちょうど独立を考え始める年齢。ある意味いいきっかけだった」と語ってくれた。

りてん堂 村田さん

実はこの活版印刷機、印刷所に3台あったうち保管されていた1台で、迎え入れるまで動くかどうかもわからなかったという。ただ、もらい手がいなければ活字とともに捨てられる。最後は「考えている時間もなかった」と、とにかく守りたい一心で無我夢中に動いていた。

専門の職人もいないなか、引き取った後は周囲の手を借りながらメンテナンスを行った。結果として、印刷機は再び息を吹き返したかのように動きだし、修理と補修を繰り返しながら、今も村田さんと二人三脚で歩みを続ける。

製造したのは中馬鐵工所という最盛期の活版印刷機メーカーで、アメリカの「チャンドラー & プライス」社のモデルを参考にしたと言われている。60~70年前のものと推測されるが、資料が残っていないため詳しい年代や製造過程などはわからない。

ただ、確実にいえるのは、もう製造はされていないということと、止まってしまっても直せる保証はないということだ。

それを毎日メンテナンスしながらでも、村田さんがこのチャンドラーで表現したいものとはなんなのか。

中馬鐵工所の活版印刷機

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