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丹後ちりめん

丹後ちりめんとは。日本の着物の7割は丹後の生地からできている

投稿日: 2020年7月5日
産地: 京都
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生地表面にシボと呼ばれる細かい凹凸があることが特徴の丹後ちりめん。

約300年の歴史を持つ織物で、高級絹織物として親しまれているだけでなく、その多くは京都・室町などの産地に送られ、日本の着物づくりを支えています。

その誕生の背景と、美しさの秘密に迫ります。

丹後ちりめんとは。

表面の細かなシボが美しい丹後ちりめん

表面の細かなシボが美しい丹後ちりめん

丹後ちりめんは京都府丹後地域を中心に生産される、表面にシボと呼ばれる細かい凹凸があることが特徴の織物だ。シボがあることにより、シワになりにくく、しなやかで柔軟性があり、凹凸の乱反射によって染め上がりの色合いが豊かで深みのある色を醸し出すことができ、絹の風合いを発揮する織物として知られている。

そもそもちりめんとは、経糸 (たていと) と生糸を強く撚った (よった) 緯糸 (よこいと)を交互に織り込み、精練という不純物を取り除く作業によって、表面にシボが生まれた白くて美しい織物のことだ。

丹後ちりめんの緯糸には1メートルあたり3,000回もの強い撚りがかけられており、精練作業で糸が収縮、緯糸の撚りが戻ろうとする力で、生地に細かい凹凸状の模様美しいシボが生まれるのである。

大きく無地ちりめんと紋ちりめんに分けられ、無地ちりめんの代表的なものとしては変わり無地ちりめんがあげられる。

また、近年は絹の代わりに化学繊維を用いたものも生産され国内外で親しまれている。

ここに注目。日本の着物の7割を支えるシルクの一大産地

 
きめ細やかな丹後ちりめん

きめ細やかな丹後ちりめん

丹後は日本で最大の絹織物の産地だ。

絹糸の使用率は全国の3割を占め、友禅染めなどに用いられる日本の着物生地の約7割が丹後で生産されている。

丹後でつくられたちりめんは、多くは京都・室町などに送られ問屋から各地へと広まり、染色がなされる。丹後は日本の着物作りの下支えをしているのだ。正に丹後は、織物の総合産地といえよう。

織物と聞くと着物のイメージが強いが、近年では着物だけでなく洋装、ネクタイや風呂敷、インテリア分野など幅広い商品を生産していることにも注目したい。

丹後ちりめんといえばこの人。町を救い「丹後ちりめん」を生んだ4人の男たち

丹後ちりめんが生まれたのは今から300年前、その背景には、ある4人の男の活躍があった。

当時、丹後の町では相次ぐ凶作に加え、競合となる新しい絹織物の登場により織物業が衰退し、人々は困窮していた。

そのような苦しい状況を救おうと立ち上がったのが、当時秘技とされていたちりめんの技法を学ぼうと挑んだ4人だ。

京丹後市峰山町の絹屋佐平治 (きぬやさへいじ) は、丹後の人々を救うため西陣で修行し研究を続けた結果、1720年に独自のちりめんを生み出すことに成功した。

与謝野町の織物問屋である木綿屋六右衛門 (もめんやろくえもん) はちりめんの技術を学ぶため、手米屋小右衛門 (てごめやこえもん) と山本屋佐兵衛 (やまもとやさへえ) を佐平治と同時期に西陣へ修行に行かせた。そして2人は、1722年にちりめんの技術を丹後に持ち帰った。

このように4人がちりめんの技術を習得し、惜しみなく丹後地域に技術を広めたことで、新しい絹織物である丹後ちりめんが生まれたのである。

丹後ちりめんの豆知識

 
丹後半島の美しい風景

丹後半島の美しい風景

丹後ちりめんが今日まで発達した理由には、丹後の気候と風土が織物に適していたことがあげられる。

丹後は山・川・海がコンパクトに密集しており、良質な水が流れていることが特徴だ。また「うらにし」と呼ばれる季節風により、湿気を含んだ雨が多く降る地域でもある。

丹後ちりめんは、丹後に流れる良質の水と年間を通して適度な湿度により育まれてきたのだ。

また、古くから絹織物が織られていたことや、養蚕地が近くにあったことも発展の理由の1つとされている。

この様な環境で織物産業が栄えた丹後の街並みは、2017年に日本遺産に認定された。

丹後ちりめんの物流の拠点となったちりめん街道や、丹後ちりめん歴史館など、歴史と文化を感じられる施設や街並みを見ることができる。

丹後ちりめんの歴史

 
丹後ちりめんが織られている様子

丹後ちりめんが織られている様子

◯正倉院宝物にも伝わる、「織物の里」丹後

丹後地方の絹織物の歴史は古く、ルーツは約1300年前の奈良時代に遡る。

739年に丹後の国鳥取郷(現京丹後市弥栄町)で織られた絹織物「あしぎぬ」が聖武天皇に献上されたことが記録に残っており、現在でも正倉院御物として保存されている。

ちりめんは3〜4世紀には中国より日本に伝えられていたが、国産化が始まったのは天正年間 (1573年〜1585年) のことだ。明の国からの御朱印船により技術者が泉州堺へやって来たことから、ちりめんは「堺縮緬」と呼ばれ人気を博した。

◯西陣の台頭で町が困窮。起死回生を「ちりめん」にかける

桃山時代になると、ちりめんは堺の織工よりやがて京都の西陣に伝わり「西陣縮緬」と呼ばれ発展する。その後江戸時代になると、江戸や京都・大阪などで友禅染が流行し、ちりめんの需要は大きく伸びていった。

京都西陣で「お召ちりめん」が誕生すると、丹後地方で織られていた絹織物は「田舎絹」と呼ばれ売れ行きが低迷。厳しい年貢の取り立てや凶作もあり、人々の生活は困窮してしまう。

当時ちりめんの技術は西陣で門外不出の秘技とされていたが、何とかちりめんの技術を学びたいと思った絹屋佐平治 (きぬやさへいじ) ら4人が立ち上がり、現在のシボを持った丹後ちりめんが誕生したのである。

◯丹後ちりめんの誕生

その後峰山藩は丹後ちりめんを積極的に保護し、多様なちりめんが丹後地方一帯で生産され一大産地を形成した。

丹後地方のちりめん織が盛んになったのは、1730年のことだ。

西陣の大火により多くの織り機が消失したことでちりめん職人が丹後地方へ流入し、丹後への注文が増えたことが発展の理由の1つと言われている。

丹後ちりめんは大きく発展し、1900年の第5回パリ万国博覧会にも出品され銅賞を受賞するまでになった。

また、丹後では江戸後半から明治にかけて、綿ちりめんや絹紡ちりめんなど様々な種類のちりめんが開発されている。同時に、明治後半から大正にかけて、手織や足踏織機から力織機へと機械化が進んでいった。

◯ガチャマン時代の反映

丹後ちりめんの製作工程の様子

丹後ちりめんの製作工程の様子

大きく発展した丹後を、ある日大震災が襲う。昭和2年に発生した丹後大震災で産地は大打撃を受けた。織機の7割が壊れる被害を受けたが、京都府や各業界からの支援により驚異的な復興を遂げる。

丹後ちりめんが最も多く生産された昭和30〜40年代には、織り機を1回ガチャンと織ったら万単位でお金が儲かると言われる「ガチャマン」景気に全国の織物産地が沸いた。丹後地域は絹織物の一大産地として栄え、さらにちりめんに対する改良が続けられた。

しかしオイルショック以降生活様式の変化により着物離れが進み、和装の需要が激減したほか、安価な輸入絹織物の急増により丹後ちりめんは衰退していった。

現在の丹後ちりめん

色鮮やかな丹後ちりめん

色鮮やかな丹後ちりめん

丹後ちりめんは2005年から海外展開を行い、世界的なブランドが丹後の生地を活用する形で現れている。和装だけでなく洋服やインテリアなど、これまでの「丹後ちりめん」のイメージの枠にとどまらない分野や商品も多くなっており、それらを世界にアピールするための新しいロゴ「TANGO OPEN」を2018年に発表、海外の展示会などでも注目を集めている。

また、2017年には丹後ちりめんにまつわる歴史と文化のストーリー「300年を紡ぐ絹が織りなす丹後ちりめん回廊」が日本遺産に認定された。

2020年「丹後ちりめん創業300年」を迎えた現在まで、丹後ちりめんは伝統の技術を受け継ぎながら現代の人々の生活に合った形へと変化を遂げており、「次代へ、新たな挑戦。」を合言葉に次の100年に向けて挑戦を続けている。

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丹後ちりめん おさらい

 

◯素材

元々は絹糸を用いることが一般的であったが、近年はポリエステルやレーヨンなどの化学繊維を用いたものも織られている。

速乾性があり簡単に洗濯できることが特徴で、複数の素材を組み合わせた複合素材の丹後ちりめんも生み出されている。

それぞれの糸の特徴が組み合わさった独特の風合いを活かし、洋服やストールなどがつくられている。

◯主な産地

主な産地は京都府の北部に広がる丹後地方である。古くから絹織物の産地として知られていた地域で、良質な水や適度な湿度が発展の要因と考えられる。

◯代表的な技法

撚りのない経糸と、1メートルあたり3,000回前後の強い撚りをかけた生糸を交互に織り込み生地にした後、精練を行い生地が完成する。精練とは生糸の汚れやタンパク質を取り除く作業であり、この作業により汚れが取り除かれ、緯糸の撚りが戻ろうとする力で生地全面に細かい凹凸状の模様、美しいシボが生まれるのだ。

◯数字で見る丹後ちりめん

・誕生:1720年
・生産反数:253,429反 (令和元年)
・丹後織物工業組合組合員数:712軒 (令和元年12月時点)

<参考>
・一般社団法人 京都府北部地域連携都市圏振興社(海の京都DMO)『丹後ちりめん〜300年の絹の物語』2017年
・中江克己 著『日本の伝統染織辞典』株式会社東京出版 2013年
・丹後織物工業組合
https://www.tanko.or.jp/
・日本遺産 300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊 海の京都
http://www.tangochirimen.jp/
・2020丹後ちりめん創業300年
https://tanko.or.jp/300/
・TANGO OPEN
https://tangoopen.jp/
・京都府 丹後ちりめん[京都府の伝統的工芸品等]
https://www.pref.kyoto.jp/senshoku/tangoori.html
(以上サイトアクセス日:2020年7月5日)

<協力・画像提供>
丹後織物工業組合
https://www.tanko.or.jp/

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