さんち 〜工芸と探訪〜

SUNCHI ~ Explore japan through regional crafts ~

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さんちのオススメ産地 三重 菰野町こものちょう 菰野町こものちょう

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三重
菰野町

概要

交易路として栄え、豊かな自然とものづくりがある町

菰野町(こものちょう)は、三重県の北西部、鈴鹿山脈の東山麓に位置する町。

町の南部には三滝川、北部には朝明川があり、鈴鹿山脈の水を集めて東流し、四日市市域を経て伊勢湾に注ぐ。

町内西部にある標高1212メートルを誇る御在所岳を中心とした観光スポットには、1300年の歴史を有する湯の山温泉、61メートルという高さ日本一の鉄塔を通る「御在所ロープウエイ」があり、ウォーキングや登山の名所となっている。

北部にある田光のシデコブシ及び湿地植物群落は2005年に国の天然記念物指定を受けた。シデコブシは、およそ650万年前に存在していた東海湖の周辺に生き続けてきた東海湖植物の一つ。里山の開発で失われることが多い中、田光東北山の谷間に自生するシデコブシ群生地は貴重な財産である。

四日市市と並ぶ萬古焼の産地として、急須、土鍋をはじめとしたテーブルウエア、蚊遣り豚など生活雑貨を生産。毎年11月には「菰野萬古焼窯出市」が行われ、全国から人が集まる。

そのほかにも、日本酒、精肉及びその加工品、乳製品、製麺、シクラメンの鉢植えなどの地場産業がある。栄養価の高い葉とタケノコのような食感が楽しめる茎を持つイネ科の植物「マコモ (茎の部分はマコモタケとも呼ばれる) 」の栽培及び加工は全国的に知られる特産品。食品としてだけでなく、古代から神社のしめ縄として使われたマコモは町名の由来になったとも伝えられている。

歴史

縄文時代から人々が暮らす土地、交易を通じ時代に合わせて発展を遂げる

菰野町は古くから開けた土地であった。大窪遺跡や六谷遺跡など、縄文・弥生の遺跡も見られ、多くの墳墓も分布している。

南北朝時代には、南朝方として活躍した千種忠顕が三重郡二十四郷を与えられ禅林寺城を居城とした。忠顕の子千種顕経の時に千種城を築いて拠点を移したと伝えられる。居城を構える一方、鵜川原地区を農耕地として開発された。

産業面では、古代から中世にかけて八風峠・根の平峠は、近江と伊勢を結ぶ交易路して利用され、塩・紙・布など物資の交流が盛んに行われ発展を遂げた。また、同時に仏教文化も伝わったといわれ、周辺には尾高観音や竹成大日堂など歴史的遺跡が多く残されている。

近世では、1600年に菰野に土方雄氏が入り、菰野藩が創立される。現在の菰野地区と千草・鵜川原両地区の一部が藩領となり、残りは桑名領及び旗本・遠国の大名の飛地となった。明治以降は周辺村の統合が進み、1956年に菰野町と朝明村が合併、現在の町域が完成した。

現在では、四日市市と並ぶ萬古焼の産地として発展し、急須、土鍋、蚊遣り豚など暮らしの道具となる焼き物を多数生産している。そのほかにも、日本酒、精肉及びその加工品、乳製品、製麺、シクラメンの鉢植えなどの地場産業が発展した。

長い歴史の中で、他地域との交易で発展してきた菰野町。文化や産業だけでなく、豊かな自然の残る地域としても全国から観光客を集めている。

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