さんち 〜工芸と探訪〜

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さんちの壁

金沢を旅するなら「石垣の博物館」へ。 金沢城のモダンな石垣、ダイナミックな庭園の謎多き魅力

投稿日: 2018年5月26日
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日本各地にある城。

天守閣や門、庭園など、それぞれ見所はありますが、全国でも珍しい「石垣」に特徴があるのが金沢城です。

出入口や庭園など場所に応じて様式を使い分けたことで多種多彩な石垣が存在し、石垣に関する歴史資料が備わっていることなどから、金沢城は「石垣の博物館」とも呼ばれています。

土壁、塗壁、漆喰、石壁、板壁。その土地に合った素材、職人の技、歴史が刻まれた各地の「壁」を紹介する、特集「さんちの壁」。

今回は、そんな金沢城の石垣の魅力に迫ります。

庭の景色として見る石垣とは

金沢城の石垣

金沢城は1583(天正11)年、前田利家の入城後、本格的な城作りが始まり、1869(明治2)年まで加賀藩前田家14代の居城として置かれました。

明治以降は陸軍の拠点、終戦後は金沢大学のキャンパスとして利用。金沢城公園として一般公開されたのは2001(平成13)年のこと。

公園整備をするため発掘調査や研究が行われ、そこではじめて石垣が注目されたそうです。

石川県金沢城調査研究所の冨田和気夫さんに、中でも一番金沢城らしい石垣が見られるという「玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)」を案内していただきました。

金沢城玉泉院丸庭園

美しい風景が広がる、一般的な庭園のように見えますが、なんだかちょっと違う。

「庭というと、景色の一つに石を置いたりしますが、ここは石垣を見て楽しむ庭になっています」

金沢城玉泉院丸庭園

確かに、言われてみれば石垣ですが、あまりに景色に馴染んでいて石垣とは思えず、ここがお城であることを忘れてしまいそうです。

「たまたま石垣があって、それを庭の借景にしているのではなく、石の積み方を変えたり、石の色合いを変えるなど意匠的な石垣をしつらえています」

そもそもここに石垣は必要だったのでしょうか?

「斜面ではあるので、擁壁(ようへき)という本来の機能を持っていることは間違ありません。でも、もっと簡単に作ることもできるのに、あえて手の込んだ作りをしているのは、やはり石垣が庭の一部になっているからだと思います」

色、形も様々な石垣、実はものすごい労力が‥‥

回遊路に沿って、石垣に近づいてみます。

金沢城切石積石垣

「これは“切石積石垣”と言って、ぴっちりと隙間なく合わせて積み上げていく技法です」

同じ形の石を積む方法もあるそうですが、ここは形がバラバラ。

「形が違うので、ひとつ石を積んだら型取りをして、その形に合わせた石を作って隣に積んでいく。ものすごく時間がかかります」

想像しただけで気が遠くなる作業です。

「石は“戸室石”を使っています。戸室石には茶系の赤戸室と、灰色系の青戸室があって、その色使いもポイントになっていますね」

いろんな色があってパッチワークのようです。

「ほかのお城の石垣は形や積み方に変化はあっても、色の変化はありません。どこまで意識していたかわかりませんが、戸室石ならではのメリットだと思います」

石垣で庭に変化をもたせる

パッチワークの石垣の横には、刻印のある石垣が並んでいます。

金沢城玉泉院丸庭園

「刻印が面白いと発想した人がいて、わざわざここに集めたのではないかと」

これは何のマークなのでしょうか?

「重臣たちのマークなのか、ひとつの仕事をするグループのマークなのか、はっきりしたことはわかっていません。家紋とも違います」

刻印は城内に200種類以上あるそうです。

「他の藩の石垣にも刻印はありますが、金沢城は種類が多いので、百万石を構成する家臣の多さと関連しているのではないかという説もあります。あとは運用の仕方も違うのかもしれません」

それにしても、少し歩くだけでいろんな石垣を見ることができて、楽しくなります。

「庭というのは変化に飛んでいることが大事で、単調では面白くない。ここは石垣で変化をつけていたのではないかと思います」

石垣にあるまじき不自然な段差

こちらは、池に架かる「紅葉橋」の前にある石垣です。

金沢城玉泉院丸庭園

「元は庭の入り口になる大きな門を載せていた石垣ですが、全体のプロポーションを見ると、橋を渡る時に目を引くような石垣になっています」

プロポーション?

「普通、石垣というのは高さより幅が広く作られますが、ここは逆に幅より高さを大きく作られていて、存在感が際立っています。不自然な段差といってもよいでしょう」

なるほど。紅葉橋だけに、石垣で山を表現していたのかも。そんな想像をするのも楽しくなります。

石垣で滝の景色を表現する

「これは“色紙短冊積石垣”と名付けられた石垣です」

金沢城色紙短冊積石垣

「上にあるV字型の黒い石が石樋で、そこから水が流れ、滝になっていました」

金沢城色紙短冊積石垣

石垣に滝を組み込むという、大胆な発想!このようなものは他にはなく、金沢城独自のものだそう。

「普通、石垣は頑丈にするために石を横にして積んでいきますが、ここは縦長の石を段差をつけて三段に組み込んでいるのも大きな特徴です。庭に石を置くとき、高さを変えて配石するのが定番ですが、それを石垣で表現したのでしょう。縦方向のラインは滝の水の流れとマッチしますから、全体としては庭の景の要である「滝石組み」の景色を石垣で表現したのではないかと考えられています」

なんと!滝を組み込むだけでなく、さらに水の流れを表現しているとは!

いったい誰がデザインしたのでしょうか?

「それがわからないんです。古文書にも記録されていないので。ただ、庭というのは一般の家臣が楽しむのではなく、藩主が楽しむものなので、当時の藩主の趣向は入っているのではないかと思います。これから研究されていくテーマのひとつですね」

どんな方が考えたのか。なんだかワクワクします。

「誰かデザインセンスに飛んだアーティスティックな方がいて、設計、全体をプランニングしていかないと、こういうカッコイイ景観にはならんのではないかと思いますね」

崖の下から石を積み、隙間に川原石を埋めて積み上げていく

金沢城の石垣の特徴がわかったところで、これらの石垣がどのように作られたのか、城内にある模型を見ながら教えていただきました。

「これが石垣の構造です」

金沢城の石垣

石切場や発掘調査で発掘された石を使った模型。城内2箇所に展示され、見ることができる

「崖の下の方から石を積んで、後ろや隙間に川原石で埋めながら積み上げていきます。

奥行きの長い石は重量もあるので頑丈です。構造としては、石と石の間にモルタルや粘土を挟んで一体化する剛構造の壁ではなく、大きな石をバランスよく積んでいく柔構造の壁ですね」

金沢城の石垣

左が原石に近いもの。右は石垣用に加工された石。どうやって、この形にしたのでしょうか。

「割って加工します。初めに穴をいくつも掘って、穴の中に鉄製の太い楔(くさび)を入れ、上から大きなハンマーで叩くと割れます」

穴を掘ったり削ったりするのは鉄のノミを使っていたそうです。

金沢城の石垣

江戸時代の設計士「穴生」とは

石垣に使われている戸室石は、金沢城から9キロほど離れた石切場から運ばれてきました。

「戸室石は火山のマグマが冷え固まった安山岩で、堅いけれど加工がしやすい。そのため、早くから加工の技術も発達しました」

ご案内いただいた石川県金沢城調査研究所の冨田和気夫さん

ご案内いただいた石川県金沢城調査研究所の冨田和気夫さん

石切場で形を作って、お城では積むだけというのが基本的な流れ。

ということは、設計段階で石の形や数が決まっていたということでしょうか?

「そうですね。まずはどういう石垣を作るか、高さ幅、そのためには石がいくつ必要か見積もらなければなりません」

設計士がいたのでしょうか。

「石垣作りの一番上にいる技術官僚を“穴太(あのう)”といいます。現場での指揮はもちろん、石垣を作るのに角石は何個必要か、この形はいくついるのか、企画寸法、数を積算し、それを作って持ってくるまでの人夫賃の経費まで積算するのが穴太の仕事です」

金沢城の石垣

石垣が露出しているところもあり、より構造がわかりやすい

穴太は、近江国(現在の滋賀県)坂本が発祥とされます。城郭の石垣などをつくる専門の技術者として幕府や諸藩に仕え、築城ラッシュの際には大きな活躍を果たしたそうです。

「信長が安土城の技術者として穴太を抱え、秀吉が継承し、秀吉につながる大名のところに穴太が散らばって、全国に広がっていったようです」

加賀藩では利家が穴太を抱え、武士と同様に「穴生」という職を置きます。

「職になると代々世襲になるので、技の伝承が図られていく。でも、一つの家だけだと途絶えることもあるので、穴太家(後の奥家)と後藤家が世襲していました」

金沢城の石垣に関する古文書の多くは、この後藤家の10代目、彦三郎氏によるものだそうです。

「普通、職人の技は文字に残すものではなく、一子相伝、秘密のもの。ところが、江戸後期になって世の中の様子が変わってくると現場の数が少なくなって、技術伝承が難しくなってくる。そこで、筆まめだった彦三郎さんが自分の家に伝わってきた技術を書き残さないといかんと、図面を入れながら残した。これが他にはない貴重なものになっています」

彦三郎さんが手がけた石垣。大火から建物を守った亀甲石(六角形の石)を入組み込むなど、陰陽五行思想の影響もみられる。玉泉院丸庭園の「色紙短冊積石垣」も彦三郎さんが命名

彦三郎さんが手がけた石垣。大火から建物を守った亀甲石(六角形の石)を入組み込むなど、陰陽五行思想の影響もみられる。玉泉院丸庭園の「色紙短冊積石垣」も彦三郎さんが命名

手仕事ならではの美しさがある

石切場で形作られた石は城に運ばれた後、そのまま積まれていくものもありますが、切石積み石垣はさらに表面加工を行います。

金沢城石垣

「戸室石はスパッと切れるわけではないので、割った後、削って平らにする必要があります。荒加工までを石切場でやって、現場に運んでから仕上げ加工をしていたようです」

金沢城の石垣

これは、表面を平らにし、さらに角を縁取り加工したもの。

「“縁取り”技法は、石垣で凹凸のない真っ平らな壁面を作る上でとても重要です。この縁に定規をあてて、石の出入りをミリ単位で微調整することになります」

なぜそこまでやったのでしょう。

「“縁取り”は庭園や重要な門など、人目に触れる所に多いので、見栄えだと思います。

今の工業製品のような均一性はありませんが、そこがまたいい。手仕事なのでひとつひとつ違う、工芸品のような美しさがあると思っています」

お宝が眠ってる!?ロマンを感じる利家時代の石垣

最後に東の丸北面にある、城内で最も古い石垣を見に行きました。

「こちらが利家時代に築かれた石垣です。自然石や荒割りしただけの石を積む“自然石積み”です」

金沢城石垣

無骨で荒々しく勇ましさを感じさせる石垣です。

「これまで見てきたものと違ってデザイン性などはありませんが、よく見ると、一つだけ大きな石があるでしょう」

金沢城の石垣

中央下に一つだけ大きな石

「あの石の裏に何かあるんじゃないかと思っているんです」

え!お宝ですか!?

実際何か入っていたことはあるんですか?

「石工の道具が入っていることはありますね。ここを発掘するということはまずないので、想像するしかないのですが」

これだけ石垣にこだわってきた金沢城です。きっとなにかある。あってほしいと期待してしまいます。

美的センスを持ち合わせた藩主

防御としてだけでなく、見せるための石垣。

今回ご紹介したのはごく一部ですが、どれもこれまでの石垣のイメージを覆すものばかりでした。

金沢城に限って、なぜこれほど多彩な石垣が作られたのでしょうか。

金沢城の石垣

奥は「切石積み」、手前は「金場取り残し積み」と、違った手法の石垣が組まれているところもある

「加工に適した戸室石があったこと、穴太家を家臣に抱えるなど石垣造りの技術的な体制が整備されていたこともありますが、やはり、藩主の意向がなければできなかったと思います」

美的センスを持った藩主、そしてそのセンスを家臣たちも認めていたからこそ、腕によりをかけたのかもしれません。

石垣の博物館であり美術館ともいえる金沢城。

当時の技の粋を見に出かけてみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
石川県金沢城調査研究所
*金沢城公園の散策には金沢城ARアプリのご利用もおすすめです。

文・写真 : 坂田未希子
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