さんち 〜工芸と探訪〜

SUNCHI ~ Explore japan through regional crafts ~

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さんちのオススメ産地 24 石川 金沢かなざわ 金沢かなざわ

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石川
金沢

概要

四季折々の鮮やかな風情と、醸成された伝統工芸・芸能が息づくまち

石川県のほぼ中心に位置する金沢市。海と山に囲まれた金沢は、四季の変化が鮮やかなまちとして知られる。

梅、桜、ツツジ、カキツバタと次々に花が咲き競う春、徐々に色を濃くする緑と犀川・浅野川の水面がきらめく夏、紅葉がまちを染める秋、雪化粧した兼六園や長町武家屋敷跡などの風情が清らかな冬と、それぞれ季節の美しさがあり、四季の風景や旬の味覚を楽しむイベントには市民や観光客が多数訪れる。

日本海側気候で、「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど雨の多い地域だが、雨に洗われた緑や瓦屋根の輝きもまた美しい。この地ならではの情緒豊かな風景も楽しみの一つとなっている。

江戸時代には、大名中最大の102万5千石の石高を誇る加賀藩前田家の城下町として栄え、各地から名工が呼ばれ、金沢漆器、九谷焼、加賀友禅、加賀繍、金沢仏壇、金沢箔などの国指定伝統的工芸品を生み出した。また、五代藩主前田綱紀の時代には、日本中から有名な学者や貴重な書物を集め学問を奨励したことにより、「加賀は天下の書府」であると褒め称えられた歴史を持つ。

藩祖・前田利家は豊臣秀吉とともに千利休に学んだ人物。以後も歴代の藩主が茶の湯に関心を寄せ、奨励したことで、一般の人々にも茶の湯のたしなみが広まり現代も茶会が頻繁に開催されている。

また、「天から謡が降ってくる」という言葉があるほどに、古くから武家や商家だけではなく植木職人までが能楽をたしなんできた。加賀宝生や狂言、邦楽や舞踊に代表される伝統芸能が今も受け継がれ続けている。

戦災や大きな災害を免れた金沢。藩政時代からの美しいまちなみが現在でも多く残っていると同時に、「金沢21世紀美術館」など新しい顔も次々と誕生している。

歴史

幕府との結びつきを強めて発展した大藩が生んだ、豊かな文化土壌

「金沢」という都市名は「昔、山科の地 (現:金沢市郊外) に住んでいた芋掘り藤五郎が山芋を洗っていたところ、砂金が出たため、金洗いの沢と呼ばれた」という伝説によるとされる。

金沢のまちは、16世紀半ばに本願寺が布教の拠点として「金沢御堂」を置いたことにはじまる。

加賀藩の藩祖前田利家が金沢に入城したのは1583年のこと。初代利家から明治の廃藩置県にいたるまで、加賀藩前田家十四代の城下町として発展した。三代藩主利常の奥方に二代将軍徳川秀忠の娘、珠姫を迎えたのをはじめ、代々の藩主は徳川将軍家との結びつきを深め、百万石の大藩を維持してきた。

前田利家の入城以来、戦災や震災に遭うこともなく、城下町の風情がいまに残る。藩政時代の金沢は、城を中心に犀川と浅野川のふたつの川にまたがる形でまちが形成された。当時の人口は江戸、大阪、京都に次ぐ4番目の規模であったといわれている。

加賀藩時代に発展を遂げた数々の伝統工芸や伝統芸能、兼六園や金沢城公園、ひがし茶屋街など城下町の面影を残す金沢だが、2014年の北陸新幹線金沢開業に向けて刷新された金沢駅周辺や、国内外から注目を集める現代美術館「金沢21世紀美術館」など現代建築を織り交ぜた新たな文化発信拠点も生まれている。

2009年には、クラフト&フォークアート分野で世界初のユネスコの創造都市に認定。古き良き日本情緒と新しい感性が混ざり合うまちとして、発展を続けている。

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