さんち 〜工芸と探訪〜

SUNCHI ~ Explore japan through regional crafts ~

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さんちのオススメ産地 22 佐賀県 肥前ひぜん 肥前ひぜん

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佐賀県
肥前

概要

世界を魅了する、日本の焼き物のふるさと

佐賀県の唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、有田町、長崎県の佐世保市、平戸市、波佐見町の8市町村で構成され400年の歴史をもつ肥前窯業圏。

一帯では現在でも窯業が地域産業の中核を担っており、窯業の技術を継承し、街の景観や文化で焼き物の魅力を伝え続ける日本随一の地域として2016年に日本遺産に登録された。一楽、二萩、三唐津と呼ばれ茶人に愛好される「唐津焼」や、日本初の磁器である「有田焼」などが生まれた焼き物の一大産地である。

玄界灘に面する唐津市、玄海町は、世界有数の漁場として知られる。唐津市呼子町を中心としたエリアは、名物のイカの専門店が軒を連ねる。街の至る所でイカが干されており、イカの形の遊覧船が海に浮かぶ、イカ尽くしの町である。

また毎年11月に行われる唐津くんちは、祭り期間中の人出が50万人を超える。「くんち」とは「供日」とも書き、九州地方に伝わる収穫感謝祭だ。漆と和紙を材料にした世界最大級の漆工芸といわれる荘厳な曳山が街を練り歩き、笛・太鼓・鐘の囃子が鳴り響く。

武雄市と嬉野市は1300年の歴史を持つ温泉の町。武雄市の温泉の入り口にある、武雄温泉楼門は、東京駅を設計した辰野金吾の設計である。鮮やかな色彩の朱塗りの楼門が竜宮城を連想させる。日本三大稲荷の一つである鹿島市の祐徳稲荷神社は、緑豊かな境内と朱色のお社が印象的。南端に位置し、有明海に面する太良町は「カキ小屋」の発祥地である。休日は県内外の人がドライブに訪れ、カキ小屋で特産の竹崎カキや竹崎カニを一緒に網にのせる。

「ARITA」「IMARI」の人気は国内にとどまらない。江戸時代には全国各地から伊万里へ、陶器商人たちが焼き物の買い付けにやってきた。伊万里市陶器商家資料館には、江戸時代以来の白壁土蔵の商屋建築がのこり当時の面影をみることができる。

窯元の煙突やトンバイ塀、陶磁器製の大鳥居や狛犬で守られた陶山神社など、焼き物のふるさとならではの景色を楽しみたい。

歴史

アジアとヨーロッパの狭間で、日本を作り出した街

400年の歴史をもつ肥前窯業圏を擁する地域。歴史は古く、古来より中国大陸との交流が盛んだった。縄文時代に伊万里市の腰岳産の黒曜石が朝鮮半島に渡った跡があり、船で朝鮮との交流をはじめていたといわれる。

弥生時代には唐津市の菜畑遺跡で稲作がはじまり、鹿島川や中川など佐賀県内の河川では弥生人が有明海の魚介類をとって生活していた。

多良岳山中の太良嶽神社には、修験道の開祖である役の行者の石像が鎮座しており、奈良時代より多良岳が修験道の霊地として信仰されていたといわれている。

1592年には豊臣秀吉が唐津市に名護屋城をつくり朝鮮半島に出兵。その際に兵士が利用したのが武雄温泉である。江戸時代には、長崎街道の宿場町として栄えた。

1607年から肥前を領有したのは36万石の外様大名である鍋島藩である。戦国大名の竜造寺家から、重臣であった鍋島直茂が領地を継承して藩祖となる。その際に、竜造寺家の愛猫が鍋島氏に復讐しようとしたといわれ、化け猫騒動として広く知れ渡った。そのお家騒動が、講談や歌舞伎の演目として有名な鍋島騒動である。

鍋島直茂は1590年代の朝鮮出兵の際に朝鮮人陶工を日本に連れ帰ったことでも有名だ。朝鮮人陶工たちが有田の泉山磁石場で白磁鉱を発見したことが、日本における磁器発祥の契機となった。製造の技術が漏洩しないよう、当時から分業制度を取り入れるなど磁器づくりは藩により徹底管理されていた。

そうして作られた磁器は、1650年代から本格的にオランダ東インド会社の船で海を渡る。陶器が主流であったヨーロッパの王侯貴族は、白地の美しい磁器に魅了され地場の磁器開発に取り組んだ。それが現代に繋がるドイツのマイセン磁器や、デンマークのロイヤルコペンハーゲンである。

古来より朝鮮半島から大きな影響を受けてきたと同時に、遠く離れたヨーロッパにも影響を与えた、世界の焼き物の中継地である肥前。

一方で明治大正期には唐津市が石炭で栄えた。唐津出身の建築家辰野金吾が監修した旧唐津銀行や、大炭鉱主であった高取伊好の住まいである旧高取邸、唐津炭田に進出した三菱合資会社の出張所であった唐津市歴史民族資料館などの優雅な建築物は、当時の繁栄を現代に遺している。

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