さんち 〜工芸と探訪〜

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浜松の音はざざんざ 民藝運動から生まれた紬の物語

投稿日: 2017年7月20日
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こんにちは。浜松在住のライター、神尾知里です。
その土地から生まれ、使い勝手が良く、生活に根ざした「民衆的工芸」=「民藝」。最近では若い人の中にも「民藝」が好きな人が増えていると聞きます。その歴史を探ると日本初の民藝館は意外にもここ浜松にありました。そして浜松には「民藝運動の父」と呼ばれる柳宗悦 (やなぎ・むねよし) のDNAを受継ぐ織物があるのです。
「ざざんざ織」というちょっと変わった名前のその織物を、今も昔ながらの手法で受け継がれている工房にお邪魔しました。

浜松に誕生した日本初の民藝館

大正15年、柳宗悦が陶芸家の河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉らと共に「日本民藝美術館設立趣旨書」を発表し、浜松で教師をしていた中村精 (なかむら・せい) の元にこの趣旨書が届いたことが、浜松の民藝運動の始まりでした。 趣旨書に深く感銘を受けた中村は、昭和2年に浜松に柳を招き民藝についての座談会を開き、昭和6年には浜松の素封家 (そほうか・財産家の意)・高林兵衛の母屋を改装して、日本初の「日本民藝美術館」を開館したのです。

中村精 著『濱松と民藝』より 高林邸内に開設された日本初の「日本民藝美術館」
(浜松市立中央図書館 所蔵)

その後柳宗悦と高林兵衛の決別により、美術館は2年で閉館となりましたが、浜松の民藝運動の中核を担っていた中村精の実兄、平松實 (ひらまつ・みのる) が浜松の民藝運動を支えることとなります。

ざざんざ織 創始者 平松實

平松は、遠州地方で最も早く動力織機を導入した織屋の子息でしたが、柳が提唱した民藝運動に共鳴し、手織りと草木染めの研究をはじめ、「ざざんざ織」を完成させました。 平松が浜松に民藝織工房「あかね屋」を開店したのは昭和7年、東京に「日本民藝館」ができる4年も前のことでした。

足利義教が詠った、松風の音「ざざんざ」

ざざんざ織、そのちょっと変わった名前の「ざざんざ」とは「颯々」とも書きます。 古くより浜松の地にあった有名な松の木の下で、将軍足利義教が宴を催した折に「浜松の音はざざんざ‥‥」と詠ったことから、この松を「ざざんざの松」と呼ぶようになり、広重の五十三次にも描かれています。 潮風に冴え、人々に美しさと安らぎを与える松風の音を表現した「ざざんざ」にあやかって、その名が付いたそうです。

東海道五十三次之内 濱松 ざざんざの松

昔ながらの手法で作られるざざんざ織

ざざんざ織は、玉繭と呼ばれる、ひとつの繭に2匹の蚕が入った繭から取り出した絹糸で織った紬 (つむぎ) の絹織物です。 玉繭は、規格外のくず繭として売りものにはせず、古くから養蚕家の家庭用として用いられていました。 そのため安価で手に入るものの、手作業でしか生糸を取り出せず大変手間がかかったそうです。
手作業で取り出した玉糸は、太さ細さの変化があり、節のある玉糸を数十本も縒 (よ) り合わせた紬糸自体の出すムラが生む特有の風合いが、ざざんざ織の特徴です。

左は普通の繭、右が玉繭

もう一つの特徴は草木染めです。現在は鮮やかさを出すために一部の色に化学染料を使うこともあるそうですが、基本は植物染料を用い、灰汁、みょうばん、鉄などの媒染液によって色合いを工夫しているそうです。やまもものベージュ、あかねの赤、ハンノキの黒‥‥落ち着いた優しい色合いがざざんざ織の魅力です。

茜はざざんざ織の代表的な色

また、丈夫で長持ちするざざんざ織は織りたての時は固く張りがあり、使い込むうちに糸の表面が平らになり、ツヤとしなやかな触り心地が増していくのが特徴で、ネクタイは特に使い込んだものの方が良いそうです。

使い込むうちに手に馴染むと評判のネクタイ

「ざざんざ織」継承者・平松久子さんを訪ねて

ざざんざ織 あかね屋

現在のあかね屋は、JR浜松駅から車で5分ほどの静かな住宅街の中にあります。 「昔はね、浜北の方に行けば桑畑が沢山あったんですけどね。今は玉繭を仕入れるのも大変ですよ。染料のあかねも昔は機場 (はたば) の近くにいくらでも自生していたのよ」 そう話してくださったのは、ざざんざ織の四代目・平松久子さん。二代目平松哲司氏 (故人) の奥様にあたります。
昭和33年に平松家に嫁ぎ、手織りの手ほどきを受けてから50余年。80歳を過ぎた現在も毎日織り続けていらっしゃいます。

「もう1人では、こんな絣 (かすり)の模様 はできないわね」とおっしゃる久子さん

「こんな古い手織機見たことある?」久子さんに案内していただき工房に入ると、昔話で見たような手織機や糸車が並んでいます。

あかね屋 工房

「糸車は竹が使われているから、息子が修理してくれるの。昔の人は道具も自分で作ったり、手入れしていたのね。」

緯糸 (よこいと) 巻き

染めた糸を緯糸にするため小管に巻いたもの

とんとんからり、とんとんからり。織り上げの作業を見せてくださる久子さん。
足と手を使って、みるみるうちに織りあがっていくのを見ている私に、家事や子育てをしながら手織りを続けてこられた話や、自分の帯を織らせてもらった時の話、濱田庄司さんのご自宅にお邪魔した時のお話、義父・實 (みのる) さんのお話をしてくださいました。

手織機で織り上げる

「義父はざざんざ織をよく考えたなと思いますよ。染めも全部ご自分で大きな御釜で染めてらしてね。私は嫁いで3日目には綜絖(そうこう)通しのお手伝いをしていたわね。何にもわからないから義父のテンポに合わせるのが大変だったの」

縦糸の綜絖(そうこう)通しで模様が決まる

受け継がれた心と民藝のあるべき姿

平松實さんが手織り・草木染めのざざんざ織を始めた頃は、機械化が進む世の中。大きな志を持って世に問うような気概で、機に向かっておられたかもしれません。一方の久子さんが手織機に向かう姿はとても自然体です。先代と同じように県の無形文化財保持者に推薦されても断わられた久子さんにとって、ざざんざ織は嫁ぎ先の大切な家業であり、生活の一部なのでしょう。

「私、幸せだと思ってますよ。普通にお勤めの人のところに嫁いだら、こんなことできなかったでしょう?最近はね、織らなかった日は運動不足なのかしら、眠れないの。だから毎日織るのよ」

もともと紬とは、衣服に対する決まりごとが厳しい江戸時代でも、絹でありながら質素なものと思われ、百姓町人でも着ることが許された絹織物でした。
その昔、各地の農村で日々機にむかっていた織り子さんたちのように、喜んでくれる人のために淡々と織り続ける久子さんこそが、柳宗悦が提唱した生活に根ざした民藝のあるべき姿なのかもしれない、そんなふうに思えました。

<取材協力>
ざざんざ織 あかね屋
静岡県浜松市中区中島2-15-1
053-461-1594
http://www.zazanza.com
営業日・時間などは事前にお問い合わせください

文・写真:神尾知里
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