さんち 〜工芸と探訪〜

SUNCHI ~ Explore japan through regional crafts ~

このページの先頭へ

あなただけの
さんちの手帖に

会員登録を行うことでお気に入りの読み物に栞を挟むことが出来ます。記事に栞を挟んで自分だけの栞帖をつくってみませんか?
メールアドレス:(必須)
※ 「.@(@の前にドット)」、「..(ドット2つ)」を含むメールアドレスはご利用いただけません
メールアドレスは既に使われているか、正しい形式で入力してください
会員登録する
既にアカウントをお持ちの方は こちら

退会手続き

退会すると栞した読み物や産地の情報が完全に消去され復元することはできません。本当に退会しますか?
キャンセル
退会する

「貝ボタン」とは。海のない奈良で育まれた貝のものづくり、その歴史と特徴

  • LINE

海のめぐみ「貝殻」を原料としてつくられる貝ボタン。

実は、海をもたない奈良県が全国でトップシェアを誇っています。

なぜ奈良で貝ボタンづくりが?実際にどうやって作るの?今日は貝ボタンの歴史と魅力をたずねます。

貝ボタンとは。全国トップシェアを誇る、貝ボタンのまち・川西町

貝ボタンとは貝殻を原料としてつくられたボタンのこと。主に高瀬貝、白蝶貝、黒蝶貝などが原貝として使われる。奈良県磯城郡川西町が貝ボタン製造の全国トップシェアを誇る。

川西町は奈良盆地のほぼ中央に位置し、町内を流れる4つの一級河川が1カ所に集結して大和川に注ぎ込む水辺の郷。かつては大阪からの舟運の集散地として賑わいを見せていた。この事が川西町における貝ボタンのルーツである。

南太平洋の美しい海から運ばれてきた原貝をくりぬいて使用。こちらは高瀬貝。

多くの工程が機械化されていると言えど、人の手と目は今でも欠かせない。

こちらはボタンを数える道具。古くから使われてきた道具は今も健在。写真:下村亮人

貝ボタンといえばこの工房。株式会社 トモイ

奈良盆地のほぼ真ん中にある川西町では、かつて貝ボタンの生産にかかわる工場が300ほど軒をつらねていたが、今では10軒程度がのこるのみ。

そのなかで「株式会社 トモイ」は1913年の創業以来、100年以上にわたり貝ボタンをつくり続けてきた。今では国内シェアのおよそ50%を占める、日本一のメーカーである。

さんちでは「株式会社 トモイ」を訪れ、海のない川西町でなぜ貝ボタンがつくられるようになったのかや、貝ボタンにかける想いを取材してきた。また、同記事では職人の手仕事がかかせない、貝ボタンの作り方についても紹介している。

<関連の読みもの>
日本一の「貝ボタン」は、なぜ海のない奈良で作られるのか?

貝ボタンの豆知識

○11月22日は「ボタンの日」

11月22日といえば「いい夫婦の日」として知られるが、実は「ボタンの日」でもあるという。これは1870年(明治3年)11月22日に海軍が制服をつくるさいに、日本で初めてボタンを用いたことを記念して、日本のボタン業界が1987年(昭和62年)に11月22日を「ボタンの日」として祝ったためとされる。

○実は、「貝ボタン」はとても強かった

世間では「貝ボタン」は欠けやすい、割れやすい、耐久性のあまりないイメージが持たれがちである。しかし、これはかつて一部で粗悪品が横行したために広まったイメージで、実のところは真珠層でつくられる本物の貝ボタンはとても強い。それこそ、合成樹脂でできたボタンよりも強い、とされるほどだ。

貝ボタンの歴史

○貝ボタンの伝来

貝ボタン産業は明治20年頃ドイツ人の技術指導により兵庫県神戸市に初めて伝わり、その後明治30年頃には大阪の河内地方へ。奈良県に本格的に伝わったのは明治38年頃とされる。奈良県では江戸時代から農家で綿加工業が盛んであったが、この頃は木綿織物や養蚕業といった産業が衰退の一途を辿っていたため、農閑期の副業として貝ボタン製造が家内工業的に取り入れられるようになった。神戸・大阪の経済交流と大阪・奈良間の舟運で結ぶ物流によって情報交換が行われてきたことが予想される。

○大戦期での急成長

これらを背景として明治39年に始まった川西町の貝ボタン産業は、大正初期にかけて徐々に成長。当時は洋服の普及がまだ十分ではなかったため、貝ボタンは国内需要が少なく多くの製品は国外に輸出されていた。大正3年に第一次世界大戦が始まると一時的に川西町の貝ボタン産業にも打撃があったが、貿易ルートが安定すると輸出も回復、大戦中でありながら貝ボタン産業は急成長を遂げた。

○生産ブームの到来

大正3年には業者数50戸・職工数349名となり、大正中期の川西町の経済の中で非常に重要な位置を占めていたことがわかる。川西町では「貝ボタン熱に浮かされて小学児童の出席率が低下した」といった貝ボタンブームに。いかに川西町が貝ボタン製造に沸いていたかがよくわかる。

○合成樹脂の台頭

昭和に入ってからも川西町の貝ボタン産業は繁栄を続けたが、昭和40年頃から安価で大量生産が可能な合成樹脂製品が本格的に流通、貝ボタンの存在をも凌駕するほどの勢いに。その後「バブルの崩壊」で景気低迷が進む中、卸売業者や消費者は質より量を好み、ロスの少ない合成樹脂製品へとさらにシフト。

○現在の貝ボタン

長引く不景気の影響もあり、川西町の貝ボタン産業は受注減少による売上低下、後継者不足などが大きな要因となり、廃業する業者が後を絶たない状況が続いた。最盛期には川西町内の過半数以上の世帯が貝ボタンに携わっていたが、現在では川西町全体で10軒程度となっている。厳しい状況下でも各製造事業者は、昔ながらの技法継続や新たな商品・技術開発に積極的に取り組み顧客ニーズへの対応を心掛け、近年では貝ボタンの魅力も再認識されつつある。

貝ボタンの基本データ

○素材

貝ボタンの原料として使用される原貝(げんがい)には、主に3つある。

・高瀬貝:貝ボタンをつくるのにもっとも一般的な巻貝。裏面が桜色や青色の模様となっている
・白蝶貝:貝ボタンのなかでも最高級品として扱われる二枚貝。真珠層の光沢が絶妙な色彩をかもす
・黒蝶貝:黒いものほど高級な貝ボタンとして扱われる二枚貝。その特徴は白蝶貝とよく似ている

このほかには、アワビや茶蝶貝なども貝ボタンをつくるのに使われる。なお、古くは「食したアワビの貝殻から、ボタンをつくっていた」という話もあるという。

○主な産地

・奈良県磯城郡川西町

○代表的な作り方

・くり抜き:貝殻からボタンの原型をくり抜く

・ロールかけ:原型を厚みごとにより分ける

・すり場での調整:表面を削って厚みを均一にする

・型付け:裏表を確認し、穴あけの機械にセットする

・窄孔(さっこう):原型に穴をあける

・化車かけ:箱に原型と砂、水を入れて、角が丸くなるまで回転させる

・彫刻:原型に文字や模様を彫る

・艶出し:木桶に原型と熱湯、薬品を数滴ずつ入れながら、艶がでるまで回転させる

・磨き:木箱に原型とロウをつけた籾(もみ)を入れて、1時間ほど回転させる。

・検品:できたボタンを等級別により分ける

原型に機械で穴をあけている

○数字で見る貝ボタン

・誕生:日本には明治20年ごろ、兵庫県神戸市に伝わったとされる
・シェア率:株式会社トモイが国内シェアの約半数を占める(2019年時点)

<参考>
吉岡清訓 著『洋服に輝く天然素材“貝ボタン”〜奥深い光沢とぬくもりに魅せられて〜』奈良県中和地区商工会広域協議会(2008年)
筒井直子、福嶋英城、松坂雅子 編『服をめぐる 衣類の研究現場より』公益財団法人 京都服飾文化研究財団(2017年)

  • LINE
関連する工芸の知識

Follow us

全国の工芸・産地にまつわる読み物を毎日更新しています

さんち〜工芸と探訪〜の読み物は各種ソーシャルメディアでも配信中。 今すぐフォローして最新情報をチェックしよう!

この読み物の産地

関連の読み物

「さんち 〜工芸と探訪〜」がアプリ「さんちの手帖」として登場しました。記事を読むだけではなく、旅の栞や旅印帖として使える、あなたのおともになるアプリです。

  • App Storeからダウンロード
  • Google Playで手に入れよう

アプリの詳細を見る