さんち 〜工芸と探訪〜

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浅草寺の提灯、両脇はなぜ銅製? そこには思わぬ理由があった

投稿日: 2019年6月4日
産地: 浅草
編集:
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江戸下町の雰囲気を色濃く残し、外国人観光客からも熱視線を浴びる東京・浅草。

そのランドマークである浅草寺といえば、多くの方は門前の大きな提灯を思い浮かべるのではないでしょうか。

浅草寺の提灯

提灯というと、竹ひごを組み合わせて和紙を貼ったものが一般的。しかしこの両脇の黒い提灯に注目です。

浅草寺の大提灯

こちらは紙でなく、銅で出来ています。見たことある、という人も多いのではないでしょうか。

今日は、この浅草を代表する風景の一部となっている、銅製提灯のお話。

なぜ、中央の赤い大提灯と同じ紙でなく、わざわざ銅製なのか。作り手を訪ねてみると、そこには意外な理由がありました。

作り手は、鋳物のまち高岡に

向かったのは、富山県高岡市。

画像提供:富山県高岡市

歌人・与謝野晶子が「美男」と褒め称えたというまちのシンボル、高岡大仏が迎えてくれます。

三代目とされるこの大仏さまの像は、昭和初期に高岡の鋳造技術を結集して造られたもの。そう、実は高岡は、日本の銅像や銅器の約9割を生産しているとも言われる「鋳物 (いもの)」 のまちなのです。

その歴史は約400年前、高岡の開町にあたり、加賀藩二代藩主・前田利長が高岡に7人の鋳物師を迎え入れ、鋳物産業を奨励したことがその始まり。現在「高岡銅器」は国の伝統的工芸品にも指定されています。

さて高岡の鋳物とひとくちに言っても、小さな部品から巨大な仏像、伝統的な仏具からモダンな生活用品まで、多種多様なメーカーがあります。

あの浅草寺の提灯を手がけたのは、「大型鋳造」を得意とする梶原製作所さんです。

そもそも鋳造って?

浅草寺の銅製提灯を可能にした「鋳造 (ちゅうぞう) 」は、紀元前数百年には日本に伝わっていたとされる歴史の古い技術。

その基本的な方法は、熱を加えてドロドロに溶かした金属を型に流し込み、それを冷やし固めて型から外し、1つの形に仕上げるというものです。

溶けた金属を型に流し込む、ダイナミックな「鋳込み」の作業

「古代ギリシャ人が知っていた芸術作品の複製技術の方法は、ふたつだけであった。鋳造と刻印である」(『複製技術の時代における芸術作品』より)

ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンが言ったように、「鋳造」は古代から人間が行ってきた「複製」「量産」するための営みの1つでした。

高岡でも同じ型のものを複製し量産する鋳物メーカーが多い中、梶原製作所さんは毎回異なる原型作りから行う、一品製作を主としています。

手がけるのは大型の銅像から銘板まで多岐にわたり、浅草寺の提灯だけでなく、川崎大師や高野山金剛峯寺、昭和天皇多摩御陵など、全国いたるところに納められています。

銅製の提灯で、江戸の魚河岸文化を伝え残す

なぜ、銅製の大提灯が誕生したのか?梶原製作所社長の梶原壽治さんに経緯をうかがいました。

社長の梶原壽治さん

「やっぱり提灯というのは、当然『紙』のイメージがありますよね。あの提灯のおもてに書かれている文字も、独特のものです。

江戸文字と言って、大きく書かれる方が今はなかなか少なくなっているらしい。そんな話が、ひとつのきっかけだったかと記憶してます」

「江戸文字」とは、歌舞伎や相撲の番付、落語の寄席などにも見られる、極太で勢いのある独特の書体。これらは実は似ているようで、それぞれ違います。

浅草寺の提灯に使われている江戸文字は、もとは江戸の魚河岸(江戸・東京の食を支えてきた魚市場。17世紀初頭に日本橋〜江戸橋の間に開設され、1935年に築地、2018年に豊洲に移転)だけで使われてきた独特の書体なのだそう。

紙の提灯であれば5〜6年、長くても10年で作り替えなければなりません。

なんとか長く、後世に残せるものにできないか。その挑戦はまず成田山新勝寺の提灯に始まり、そして浅草寺の銅製提灯につながっていったそうです。

紙でしか想定していなかったものを銅に置き換える

「もともと紙でしか想定していなかったサイズのものを金属で造るわけなので、最大の課題は軽量化でした」という梶原社長。

それも普通サイズではなく、およそ3メートルもある大提灯 。銅に置き換わっても違和感がなく、もともとの紙提灯らしい雰囲気を出すにはどうしたらいいか。

「これはこうしたほうが良いですか、こんなことならできますよ」と様々なサンプルを見せながら、知恵を絞り、実現に向けて打ち合わせを重ねていきました。

提灯の製作期間は、約1年。でもそれは決して珍しいことではない、と梶原さんは言います。

400年分の知恵を駆使して

「一品製作」は、毎回が挑戦です。造るものに応じて適切な鋳造法や加工技術を考え抜き、製造していきます。高岡のものづくりは分業制が基本なので、都度他のメーカーや職人と連携し、造り上げていきます。

「高岡には400年分の、伝統工芸の、金工の歴史がありますから。その中に先輩方のいろんな知恵がある。挑戦の度に、難しいことがあると周りの先輩方に『こんなものができますか?力を貸してください』と相談し、連携しながら造っていくのです」

毎回打ち合わせに時間をかけ、1からデザインを決め、原型を造り、鋳造し、研磨・彫金などの仕上げや加工を施し、着色をして、やっと完成。

粘土による原型づくりの工程

原型を元に鋳型 (金属を流し込む型) づくり

鋳造にも様々な方法がある。これはそのうちの一種、「ガス型鋳造法」の鋳型

溶けた金属を型に流し込む、ダイナミックな「鋳込み」の作業

鋳込みにより作られた大きな仏像の蓮華座。溶接による仕上げ作業をしているところ

たとえば10メートルの仏像であれば、原型に半年、パーツごとに分けて鋳造して半年、パーツの組み上げに半年と、それだけでも1年半。「全ての工程で気が抜けません」と梶原社長は言います。

「きれいすぎない」加工で紙のような質感に挑む

1年という期間をかけて完成に至った浅草寺の提灯。

固くて重い金属という素材を、いかに軽くするか。紙や竹素材のような柔らかく軽い質感に見せるか。そんな課題を、梶原さんはどのように解決したのでしょうか?

「たとえば、表面がきれいすぎても不自然でしょ。いわゆるシンメトリーの世界のような美しさよりも、肌がシワシワとしているのが、提灯らしさ。

それで軽さと質感、両方を実現するために、鍛金の技術と鋳造の技術とを併用しました。

鋳造だけだと6〜8ミリくらいと厚くなる。一方で鍛金した銅板を使えば、その部分は薄くできる。

鋳造の部分と鍛金による銅板の部分を組み合わせることで、まず軽量化が実現できました」

さらに、パーツ同士を組み立てる際の溶接痕も、質感を表現するための大事な材料として工夫が凝らされました。

紙のやわらかな質感を出すために、溶接痕の磨きを加減することで、紙がよれたような雰囲気に。また、溶接痕をあえて残し、竹の節に見立てました。

そんな発想や工夫ができるのは、400年間、高岡で先人たちが積み上げてきた、技術と知恵があってこそなのでしょう。

こうして無事に完成した提灯には、梶原製作所の名が刻まれています。次に浅草寺を訪れたら、ぜひこの銅製の提灯を見上げてみてください。

浅草寺の大提灯

東京のランドマークを支える高岡のものづくり。

それは職人たちが知恵と技を競って取り組んできた、挑戦の歴史と言えるかもしれません。

そんな挑戦の伝統は、今も。

400年続く高岡のものづくりに、はるか遠くイスラエルの地から飛び込んだ1人の男性がいます。近日、そんなある職人の、挑戦のお話をお届けします。お楽しみに!

取材協力
株式会社梶原製作所
富山県高岡市横田町3-3-22
http://kajihara-ss.com/

文:荻布裕子
写真:浅見杳太郎、株式会社梶原製作所、浅草寺
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